城北文芸 有馬八朗 小説

これから私が書いた小説をUPしてみようと思います。

銭湯part1

2022-04-12 15:30:37 | 小説「銭湯」

 夕暮れ時、おれはプラスチックの石鹸箱に手ぬぐいを巻いて、カタコト音をさせながら横丁を歩いていった。西の空に夕焼けが雲にかかっていた。
 自家風呂用のブリキの煙突がついた古い小さな家の隣に剣客風の石塀に囲まれた真新しい大きな二階屋があった。できたばかりの車庫のシャッターが光っていた。どうも息子の家に違いないとおれは思った。このぐらい大きな家に住んだらせいせいするだろうな、固定資産税は年額にして五万円くらいだろう。安いものだ。などと自分勝手に想像して、これまた真新しい三階建住宅のところを左に曲がった。待てよ、この間ある都会議員が演説していたのがおれの頭をよぎった。土地の評価額がえらく上がったため固定資産税が高くなって自分の土地や家を持っている人も困っているというのであった。これでは政府から土地を借りているのとなんぼの違いがあるのだろうかと思えなくもない。いいも悪いも政府のさじ加減ひとつのようだ。
 出窓のついている三階建だつたが、随分狭い敷地いっぱいに建ててある。同じような建物が三棟続いていた。その二番日の建物の一階部分が駐車場になっていて十歳くらいの女の子が縄跳びを手にしていた。車が一台入ればなくなってしまうスペースだったが、女の子はかわいい子だなとおれは思って何気なくその子の顔を見た。女の子のいぶかるような視線が返ってきた。縄跳びをしようとした小さな手は止まったままだった。この頃むかしでは考えられないような事件が起こるようになったからな、このあいだも神戸市の小学生が殺されて、切り取られた首が中学校の校門の前に置かれていた事件があったばかりだ。この近辺では女性ばかりをねらってすれちがいざまに石で顔や頭を殴ったり、鉄の棒で背中を打ったりする事件が連続していた。意味もなく悪さをする。恐ろしい世の中になったものだ。女の子がおれを見ていぶかしがるのも無理はない、とおれは想像した。
 想像といえばおれの想像は間違っていることが多い。意外なことを発見して驚く。逆に自分たちのことを間違って想像されてウーンずいぶんなことを言うなと気が腐ることもあった。以前銭湯へいったときのことだ。番台にいつもの一言多いおばさんが座っていた。「学校の先生はいいわよね。今はだんだんうるさくなってきたからそうでもないけど、前なんか三時過ぎになると九中の先生が堂々とお風呂に入りにくるんだからね。四時になるとさっさと家に帰ってるのよ。夏休みもあるし、いいわね。うちなんか年中休みなしだわ」と言っていた。中学絞の国語の教員をしているおれの友達の話では、自宅で明け方までテストの採点をしていたり、遅くまで部活の指導をしたり意外とたいへんなことがあるようなのに、やなことをみんなに放送しているなあとおれは思った。おばさんなんか番台に座って好きなことをしゃべって一日中男の裸を見ていられるなんてこんないい仕事はあるまいと言われたら、頭から湯気を立てて怒るに違いない。見たくて見てるんじゃないよって。
 この頃は自家風呂が増えたので銭湯の客は減っている。トカゲ公園の前の銭湯はいまでもいつも混んでいるが、ここの銭湯はいつもガラガラである。もっとも、おれはいつもいく銭湯が休みの時しかトカゲ公園の銭湯には行かないのだからそこがいつも混んでいたのかもしれない。
 わが民生住宅の隣人の中にはこの銭湯を嫌ってトカゲ公園の銭湯に行ってる人が何人もいる。おれはここの方が近いし、空いているという理由できているだけである。


銭湯part2

2022-04-12 15:16:48 | 小説「銭湯」


 民生住宅といえば、わが住人の中にはこの言葉を嫌う人もいる。民生住宅、都営住宅、公社住宅、公団住宅、この頃は都民住宅というものもあらわれた。この中でもっとも入居者の収入基準が低いのが民生住宅である。確かに公営住宅は住宅に困っている低所得の人たちに低家賃で住宅を提供するものであって、自分で住宅を購入できる収入が得られるようになれば、明け渡しを請求されるようになっている。よく東京都からのお知らせのビラにそういうようなことが書いてある。つまりわれわれはやってあげられているものなのである。肩身の狭い思いがしてもこれではしかたあるまいとおれは思う。
 ところが、その低家賃が最近低家賃でなくなってきた。周辺の民間住宅の家賃の水準に近付けるようなのである。民間住宅の家賃の水準に合わされたら、おれの給料の大半は家賃で消えてしまうだろう。住宅を買おうにもおれが一生かかっても返せないローンを背負わされることになるにちがいないので全く手が出せない。
 「あそこのスレート工場の裏の都営アパートの人たちはいいわねえ。家賃が安いから相当お金をためているらしいわよ。別荘もってる人もいるんだから。わたしたちの税金を使ってると思うと不公平よねえ」
 また番台のおばさんが気に障ることを言っている。中にはそういう人もいるかもしれないが、おれの知ってる範囲では聞いたことがない。家を建てて引っ越す人はいた。といってもマンションに引っ越した人が多い。だが、みんながみんなそういう人ばかりではない。収入が全くない人もいる。それには様々な理由がある。高齢で働けない、病気、寝たきりの親の看病、アルコール中毒、精神薄弱等々。アルバイトでしか雇ってもらえなくて、極端に賃金の少ない者もいる。
 「あんな安い家賃のところで四十過ぎても結婚しない人がごろごろいるんだよ。お金がたまる一方だろうね」
 と番台のおばさんが言うと、女湯のほうで応える声があった。
 「うちの娘も三十五になるのにまだいかないでうちにいるわよ。話をもちかけても、結婚する気がないみたいなのよ。家も狭いし、あんなでかいのがいつまでもうちにいられたんじゃかなわないわ、本当に」
 「女の人も男女平等だなんていって男の人と同じように働くようになったから、今さら亭主の機嫌をとって暮らせますかって言うんじゃないの。そういう若い人が増えてるって週刊誌に書いてあったわよ。男の人の方もね、外食はできるし、お弁当屋はあるし、コンビニやスーパーでレトルト食品は売ってるし、洗濯だって洗剤を入れてボタンを押すだけで時間がたてば自動的に脱水されてあとは取り出すだけになってるんだもんね。便利な世の中になったものよ。結婚なんかしなくても何も不自由なことはないのよ。ソープはあるし、ファッションヘルスはあるし、何でもありの世の中よ。女なんか要らないわよ」
 「よく知ってるじゃないの」
 「週刊誌に書いてあるのよ」
 「独身だったら働いたお金を全部自分一人で使えばいいんだもん生活は楽だわよ」
 「うちの子なんか毎年海外旅行に行ってるわ。去年はモルデイブでしょう。今年はセーシェルにいくんだって」
 「セーシェルって聞かないわねえ。どこにあるの」
 「インド洋にある島らしいんだけど、うちの子はスキューバダイビングが趣味で海に潜りにいくのよ」
 「親と一緒に住んでいれば家賃は要らないし、食事は作ってもらえるし、住み心地が良すぎていつまでも行く気にならないのも無理はないわね」
 「本当よ、うちの子なんか食事代だって月二万円家に入れるだけなんだもの。あとは好きに使っているわ。それでも足りないっていってるわ」
 天井に据えられた大きな扇風機がゆっくりと回っている。涼しくて気持ちがいい。腕や背中に入れ墨をしたおじいさんが脱衣場から洗い場に入っていった。半袖のシャツを着るとちょうどそれが見えないようになっている。
 「若い人は自分が楽しければそれでいいのかもしれないけど、そのうち親も年取るし、結婚する人が少なくなって、どんどん子どもの数が少なくなったらどうするつもりなんだろうね。いくらお金を貯めたとしたって子孫がいなかったら自分が年取った時介護してもらえないだろうにね。だいたい、その時になったら、子どもをつくらなかった人は介護の割り当てなんか受けられないわよ。なんでもお金で解決すると思ったらおおまちがいだわ。最近は何でもお金っていう風潮がいけないのよね。国際貢献もお金だけだせばいいようなことをいう人がいるけど、それで日本は国際社会からばかにされてるっていうじゃないの。若い人を一定期間自衛隊に入れて、社会に対する貢献を身をもって体験させれば少しは考えるようになるんじゃないかしらね。そうでもしなかったら、これじゃあどうしようもなくなるわよ。結婚しない人とか子どもをつくらない人には特別に高い税金を徴収してやればいいのよ。そうでもなければ、私なんか子どもを三人も産んで育てたんだから、不公平だわ」


銭湯part3

2022-04-12 15:12:11 | 小説「銭湯」


 色の黒い外国人らしい男が湯船から上がってきた。パキスタン人かインド人のような精悍な顔付きをしていた。このあいだはヨーロッパ人のような色の白い男が入っていて熱い湯のためにピンクがかった肌の色になっていた。銭湯も国際化したものである。
 贅沢にも思える高い天井、大勢の客が一度に入っても酸素が不足しないようにつくられているのだろうか。そういえばカトリックの大聖堂もトルコのモスクも天井が高そうだ。冷たい水滴が肩の上に時折落ちてくる。湯船の上の壁一面に富士山の姿を描いたペンキ絵が施されていた。湖にヨットが浮かんでいた。
 おれは手ぬぐいを頭に載せて熱い湯に入った。泡の出ている場所に行って肩まで湯に浸かった。
 おれは最近、政府が子どもの数が滅ったと言って何かと人民に負担を強いる口実に使っているのではないかと思うようになっていた。ドイツ、イタリア、日本が世界でもっとも出生率の低い国を争っているというのは興味を覚えた。これらの国はすべて第二次世界大戦で負けた国ではないか。スウェーデンがもっとも出生率の低い国だったこともあったが、政府の施策によって出生率が向上したとおれは何かで読んだ記憶があった。
 これから益々子どもの数が減っていくと予想されるので、将来働く者の数が少なくなる。その少ない労働者で多くなる高齢者を養わなければならないというわけだ。そのために消費税率を引き上げる、介護保険を導入する。年金は納入額を引き上げ、支給開始年齢を遅らし、支給額も減額する。
 なぜかこれはおかしいなとおれは思っている。将来のために今から色々な負担を引き上げ、ため込むということは、ため込んだお金を政府が何かに投資するということだろうから、そのことが将来の高齢者を養うことにはつながらないと思う。二百四十兆円を越えるという財政赤字の埋め合わせになるか、防衛費という名前の軍事費に使われるか、財政の操作でどうにでもなってしまう。
 高齢化社会がくるからなんて脅しだと思う。毎日都会から吐き出される夥しい人の群れ、何層も連なる中層高層のアパート群、東京に住んでいると余裕もスペースもなさ過ぎる、人が多すぎると思うことがいつもある。中国などは人口がこれ以上増えると食料生産が限界を超えてしまうからだと思うが、子どもの数を一人に制限しているそうだ。日本も江戸時代は三千万人位で人口は一定していたという話だから、無理なく生きていくためには五千万人位が適当な人数かもしれない。そう考えれば、政府の悪政のためとはいえ、政府が人口を制限しなくても子どもの数が減っている今の傾向は、人口という点だけを考えれば、そんなに悪い傾向とは思えない。不幸中の幸いといったところだろうか。
 人口が減れば、需要と供給の関係で土地の価格が下がる。また、賃貸住宅の家賃も下がるはずである。この面でも住みやすくなる。
 おれは明日の日曜日に今住んでいるところからさして遠くない新築の都営アパートに引っ越すことになっていた。小さいながら風呂場もついていた。それで銭湯にも当分いかなくなるかもしれないと思った。時代が変われば栄枯盛衰はあるもので、時代に合わせて銭湯も変えていかなければならないものだろうとおれは思った。

  (初出誌1997年『城北文芸』31号)