一句鑑賞

吉井から春を

筑後吉井の白壁の街で見かける、鏝絵ですね。他にもありましたが・・・鈴の絵は呉服屋さんだったか?薬屋さんはこれだけの御店ですから、広く卸売りもされていたのかもしれません。

こういった白壁の大店は当時の商いを続けておられるところは僅かです。それも業態を変えて続けておられるようです。

2年前のちょうど今時期の吉井の街で撮った写真でした。この白壁の街並みはよく保存されております。これからひなめぐりのお祭りで賑わうでしょう。

こういった伝統的建築物も維持が大変だろうと思います。建物そのものへの費用もありますが・・・人が生活することを考えると、今の建築の方がはるかに楽なんではと思います。掃除なども大変でしょう。冷暖房は通常使う居室だけだとしても、一間一間が広いですからね。

 

そういった吉井に熊本時代の漱石先生が宿泊なさっておりますね。

当時は旧正月です。熊本から鉄道で博多方面へ途中大宰府辺りの乗降客の多さに驚いたとかの記述を何かで読みました。熊本→博多→小倉→大分の宇佐(ここに初詣をしたのです)→徒歩や馬に乗って→山国町→日田→吉井・・・と大いなる旅をなされているようです。漱石全集の俳句の巻を読みますと、宇佐から日田への寒中の旅の困難が詠まれております。

雪の中で馬に乗って峠を越えるときに馬から落っこちたことなど日記に書いてます・・・馬の鈴の音が耳に残っているのです・・・吉井では、その句を詠んでいまして、歴史資料館の前庭に句碑があります。句は調べ直さないと字を間違えますのでご容赦・・・( ´艸`)

このことは数年前にも書いておりましたが・・・吉井が元気になりますようにと書きました。

一昨年か忘れましたが、とあるお店に立ち寄りまして、漱石がこういった旅をしてこの地に泊ったのですねと言ったら、なんにも知らなかったと・・・それから句碑の前に立っていた時に、教師さんたちの集まりがあっていたのですが、出てきた一人の先生にこれは漱石の句碑ですと言ったら、びっくりされてました。うーんと考えさせられました(-_-;)

漱石先生は、それから軌道車に乗り換え(笑)久留米市へと行って、地元の文学者と高良山など巡り句碑を残しております。

菜の花の遥かに黄なり筑後川  だったかな

春になりますね<(_ _)>

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