昨夜のBS2新日本紀行、奥の細道を視た。
解説、ナレーション、映像も良いからつい見入ってましたね。
今夜のウォーキング中はこの句が頭から離れない。
荒海や佐渡に横たふ天の川
誰もが知っているこの句ですがどう鑑賞しようかと、歩きながらが考えた。
流罪人の島、金山の島と考えたときに・・・
松本清張の西海奇談だったかその鯛生金山の描写や、石見銀山の積出港の温泉津を訪ねたときのことを思い出した。その上で芭蕉さんのこの句をを考えましたね。
荒海や、すぱっと切っていますね。
佐渡に横たわった天の川が見えた・・・当日は雨で見えなかったはずという解説も見えますが(笑)
流石に芭蕉さんは佐渡の島の様子などは行かずとも分かっているのです、有名ですからね。
この句は心に浮かぶ景色としての句だと思います。
金山で働く鉱夫たちの楽しみは、酒色でしょう。そこに働くやはり罪人でもあった酌婦。
そういった島で生きている人をも詠んだ一句ではないかなと思います。
さて情景ですが自然の厳しさ、佐渡へ渡るにはよほどの凪ではないと渡れません。
島影は見えています、天の川が出ているのですが・・・
この天の川と佐渡の島影との位置関係も考えましたね・・・ウォーキング中は頭は暇ですので(笑)
私は横たわった天の川の岸辺の一部、もちろん下辺ですが、それが島影にかかっていると見えました。
芭蕉は過酷な環境で働く人をも考えたかもしれませんね。
彼ら(彼女ら)の救いになるのは星空かもしれないですね、昼間は酷使されていたでしょうから。
故郷には戻れずに夜空を見上げている。そこに浮かぶ天の川が彼らを救い上げているかのように。
上五で、荒海やと切っていますね・・・それだけで佐渡とのいろんな距離を感じますね。
救いは島影にかかっている天の川なのでしょうか。
私は蕪村派ですけど、昨夜の番組には心揺れました。