前線が近づきつつあった午前は南東の風がときおり強く吹きました。
午後はしだいに雨が落ち始めましたが、ぽつぽつといった感じでした。
午後4時ごろになって、あ降って来たなって具合でした・・・
晩くなった今は、やわらかに雨だれが聞こえます。古い家なので軒先からとかからダイレクトに聞こえるのです。
谺して山ほととぎす欲しいまま 久女
この句は、英彦山で詠んだ句ですね。この句が全国有名地を詠んだ句大会かなにかで評価が高くて賞をもらったとかです。
当時、久女さんはほととぎすの人でしたから・・・ほととぎすの特に女性会員たちからは嫌われたでしょう。妬みですね。
この句は作者がほととぎすを欲しいままにしているのではないのですがね・・・しかし久女さんとKYOSHIさんは師弟の関係以上のものもあったとあれば、これはただ事ではありませんからね。
ほととぎすが山全体を欲しいままに移動しながら鳴いている様を詠んだ句と私は思っております。
この句を作ったときは英彦山神宮に数日滞在していたそうです。当時の宮司の奥様とは俳句を通じて交流があり、たびたび滞在をしていたそうです。
久女自身も数日滞在しているときにほととぎすとの出会いを詠んだと言ってるのを何かで読みました・・相変わらず記憶だけでの記事です<(_ _)>
もう一句、英彦山の北側に高住神社があり、その山の傾斜の急な境内には大きな橡の木があります。ピンポン玉ほどの硬い実が落ちます。こつんと。
橡の実のつぶて颪や豊前坊 久女
この句碑もその境内にあります。ほととぎすの中で自らに対してのある意味攻撃的な言葉などを下敷きに詠んだのでしょうか?
彼女の心は分かりませんが・・・英彦山という山深きところにこういった句を残すということを考えると、ますます久女の素晴らしさを思うのですが。精神を病み(この表現はどうかと思うが)、晩年は・・・というところで久女、英彦山二句を終わります。
20年ほど前に千葉県で俳句会を主宰していた、H氏が来福のときに英彦山を案内しました。そのときに高住神社を下るときに杜鵑がすぐ頭上で鋭く鳴いたのです!鳥肌が立ちました・・・帰りの車中では、谺して山ほととぎす欲しいままの句をどう鑑賞するか、主宰と話しました。いい思い出です。
といったところで久女さんからは、しばらく遠ざかりましょう。自分の句ができません(^_^;)