節分の嫌いなところ・・・
古代から日本の歴史のベースにあるのは怨念(笑)
つまり、簡単に言えば祟りが怖いってことです。
ですから統治者は前統治者をやっつけて権力者になるのですが、自分もまたやられるかもしれない・・・その不安はずっと引きずっているのですね。
その不安を少しでも解消したいので、古代にあっては大国主命を屠った、たぶん女帝でしたが・・・大国主が生き返らないように或いは、その後継的人物が出てこないようにとの願い(かなり都合のよい)で、大国主は西方浄土に向けて祀られていると、何かの本で読みました。
大河ドラマもクライマックスになりますが、あの信長さんですが遺骸もなにも無いようになっておりますね・・・ここなんですね大事な箇所は。
つまり後世の権力者、秀吉さん家康さんでも宜しいのですが、信長さんの遺骸が残っていて、それを御旗ではないが印として、後の権力者に立ち向かってくる勢力が怖かったのではないかと思うのです。
ですから、信長さんにはが何も残っていなかった。ってことにしとかないと後の人には都合が悪かった(笑)
太閤さんも権現さんも、権力者になるにはどれほどの人の命を奪ったか(結果としてもね)。ここが怨念を祀って自らの安寧を祈ることになるのです(-_-;)
さて節分がなぜ嫌いかですが・・・鬼さんの肩を持つわけではないのですが(笑)
鬼は外、福は内。この考え方なんですね、ざっき書きました怨念から逃れたい精神ですね。今の世の中に通用しますかね?
人の世は善人も要ればそうでない人も居るし、いつその立場が逆転するやもしれない。
とくだん、悪い奴を決めつけて、外に出て行け!なんてのはどうなんでしょう。鬼も可哀そうだと思います。
久女の句に・・・
節分の宵の小門をくぐりけり
久女は教師の妻として小倉に住んでおりました。この小さな門はわが家でしょうか?それとも出会い茶屋でしょうか?分かりませんが、自宅として考えた時に出かける時でしょうか帰宅するときでしょうか?
いずれにしても鬼は外!の節分の夜です。主婦が宵に出かけたりするのは憚られる時代です。自分の心に鬼が潜んでいるのかもしれないと思ったのでしょうか?
次回の久女さんは英彦山での句を取り上げます。