8年前の今日ですが・・・あの日のことは鮮明に覚えております。
朝は母に面会し、その足で主治医のところに定期健診、消耗品など買ってどこかでお昼を済ませ。夕食の材料を買いにゆめタウン筑紫野へ行くとき車のラジオは国会中継、時の外務大臣が献金問題で・・・
午後、買い物を済ませて朝倉方面へ走っているときだったと思います。ふたたびラジオをつけると緊急放送になっていました。アナウンサーの必死に避難を呼びかける声に、これはただ事ではないと聞いていましたら、津波警報が出ています、すぐに避難してください、津波の予報高さを5メートル以上が予想されます。所によっては7メートル以上となどと、必死の声がラジオから流れます。
聞いていて鳥肌が立ちました。直ぐに家に引き返しました・・・その後のTVの報道には見るたびに戦慄でした。
娘はTVで津波が田や家や道路を飲み込んでいく画像に泣き出しました。こんなことが起こっていいのかとまったく無力な自分に愕然と見ていました。
まだ2千五百名以上の方が不明だそうです。こういった悲しい数字もしっかり覚えておかなくてはならないと思います。あの時も菜の花の美しいときでした。たぶんその景色を見に行く途中だったかと
菜の花の揺れ人の手揺れ止まざる