下関市吉田宿にある東行庵。晋作の号は・・・東行ですね。
その菩提を、説明によると側室「うの」が守ってきたと説明にありました。
側室という言葉はいわゆる正室ではない女人?
私は違うのではと思いますね。
晋作は回天を叫ぶような人物です。従来の家を持つ人物として正室だ側室だとかの概念はなかったでしょうね。現代人より自由さがあったと思いますね。
その天衣無縫な姿に惚れぬいたのが彼女でしょう・・・(笑)
晋作が出向くところにいつも「うのさん」の姿があり、身の回りの世話をしていたのでしょうから・・今風に言うと、好い人だったのでしょうね。側室などと失礼な(笑)
今回、行ってきましたが、写真はこの一枚だけです。
うのさんのお墓も見てきました・・・10数年前?ほんとうに久しぶりでした。
小ぶりですが丸い石塔のような墓石でした。その周囲六畳ほどの広さの中に、八重の椿が幹を大きく枝も茂ってありました。訪れた時は4月末ごろ、「八重の椿」が散り敷いて、ピンク色の花びらで踏み込むことができなくなりました。こんな見事なお墓は他に知りません。来年でもその時期に行きたくなりました。
飯田蛇笏の句碑ですが、この解説板の右手にありますが、字が判別しずらくほどでしたので画像は無しです。しかし木枯らしは二月の季語ではありませんね・・・二月末はもう春ですからね。
この時期の思いがけない冷たい風に、思わず火桶を引き寄せているのですね。きき耳立てるとは松の枝が揺れている様子が分かるほどに風が吹いていると言っているのでしょうか。
解説には分らんでもありませんが、もう春で芽吹きの時期なのに、木を枯らすような冷たい風ではないと思いましたが・・・
さて今夜はこの辺で・・・夕べは書きすぎたかな?