黒田杏子さんが亡くなられたとニュースで知った。
まだお元気で活躍中だったと記事の中にあった。
私が40の後半から50にかけてのころだったか、詳しく思い出せないのだが・・・彼女の一冊を読んだ記憶があります。詳しくは私の木瓜のせいで思い出せないだけのことですが・・・彼女のことで思い出すのが・・・季語の現場。
季語の現場で作りなさいということか、はたまた季語をしっかりと勉強していれば身の回りは季語だらけなので、そういった季語知識をもって作句しましょうとのことなのか。今もって真意は私ごときでは分からないのだが・・・
彼女の例句が角川歳時記第三版に載っているのは決して忘れない。
それは英彦山に行かれた時の句だと・・・
秋扇をひらけば(漢字だったか?)水の豊前坊
これを知った頃は登山などで英彦山に行っていたので、英彦山の北側の豊前坊を詠まれた句は忘れることができない。
豊前坊には山肌の岩場から、それこそ石清水を見ることは簡単です。幾筋も清水が出ていて・・・とても周りの空気の清浄さと相まって心までぴんと張りつめた感じになったことを思い出しています。
黒田さんは、豊前坊この地に立たれたのだという意味でも私の中ではある意味神聖な所なんです。
さてその句を読み返してみますと・・・
彼女はどんな状況で豊前坊に行ったのか、ここから考えが始まりました。
英彦山に一般に行くとなれば、現在はほとんど車です。その広い駐車場もあり駐在所もあり、お土産屋さんも一二軒、また喫茶姫沙羅という小鳥が来るのを楽しめるお店があったりしました・・今はどうだろうか。
とにかく黒田さんは豊前坊に降り立ったか、あるいは別所駐車場から歩いてきたのかはわかりませんが・・・まだ扇子がいる季節。
手にした秋扇を思わずひらかれたのでしょうが、そこは標高600以上で山の北側で思いがけなく冷気を感じられたのかもしれない。
その感じを水の豊前坊と詠まれたのかと、推測するばかりであります。
季語の現場で、このことで大いに勉強させていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。
私のブログに、谺して・・の記事があり、ホトトギスの大きな鳴き声に出会った記事があります。そこが豊前坊なのです・・・おそらく久女の足跡を辿られたのかとも考えております・・・合掌