あっという間に9月も半ばですね。
交換日記をストップさせてしまってごめんなさい
みんです。
今回から私の日記の順番が回ってきたら、
8月5~8日にハイナンNETメンバーの一人と一緒に行ってきた
広島の旅の感想を書いていこうと思います☆
「8.6に広島に行こう」というところから始まった今回の旅行計画。
広島市街だけでなく、その周辺にも足をのばして、
いろいろなところを見てみたくなって、結果、個人スタディーツアーみたいに。
5日は大久野島へ、
6日は、午前中に広島城周辺のフィールドワーク、
午後は宇品港から呉周辺にかけてのフィールドワーク参加、
7日は1日かけて、平和記念公園とその周辺散策、
8日は広島市街から自転車とフェリーで似島へ…
という、なかなか盛りだくさんな3泊4日の旅行になりました。
今日は、大久野島の回
大久野島は、「うさぎの楽園」&海水浴場として知られている島で、
広島県竹原市にある忠海港からフェリーに乗って行きます。
ウサギ
がいて、エサとか売ってて、海水浴の家族連れでにぎわう大久野島は、
実は過去、3度にわたって戦争に利用された島です
1902年に軍都広島と軍港呉を守る要塞として、砲台が作られ、
1929年には日本軍の化学兵器製造のための毒ガス工場が作られ、
朝鮮戦争の時には米軍の弾薬置き場として利用されました。
そんな島の歴史を伝えてくれる、小さな資料館が大久野島にはあります。
それが「大久野島毒ガス資料館」です。
5名以上の団体で事前に申し込めば、「毒ガス島歴史研究所」の方が、
資料館の展示や外の日本軍関連施設跡を解説しながら案内してくれます。
今回は、他の団体の皆さんとご一緒させていただいて、案内を聞くことができました!
展示室には、機密保持のために大久野島を消した当時の地図もありました。
ぽっかり、島とその周辺が空白になってるの。
大久野島に毒ガス工場ができたことについて、
・機密の保持ができる
・工場労働者が通勤できる(集落から近い)
・事故のときに周辺への影響が出にくい
・中国大陸に近い
という理由だったことを説明しながら、ガイドをしてくださった方は、
「この危険な施設は東京から遠くへという構造は原発とまったく同じだと思う」
と話されていて、本当にそのとおりだと思いました。
実際に毒ガス工場で働いた近隣住民や動員された学生たちは、
戦後、さまざまな後遺症にくるしんできたそうです。
さらに、日本軍が戦後、中国大陸に遺棄した
毒ガスの被害を受けた中国の人々との交流についても教えてくれました。
この事実を伝える展示が昨年からはじまったそうそうですが、
それ以前から、中国東北部に行って、被害者のお話を聞いたり、
広島にお呼びしたり…と学習と交流を行ってきたのだそうです。
戦後、中国大陸や、大久野島周辺にたくさんの毒ガスが埋められ、
海に捨てられ、今もそこに残っていて、いつ掘り出されてもおかしくない状態。
日本政府は、しっかりと調査して、今後の更なる被害を食い止めて、
被害にあわれた方々への謝罪と補償を行わなければならないと思います。
ガイドの方の、
私たちは「ノーモア・ヒロシマ」は言ってきたが、
「ノーモア・毒ガス」は言われていない。
二度と繰り返さないために、この事実を広めてほしい
という言葉が、とても印象的でした。
大久野島の飲料水は、すべて島の外から運ばれてきます。
それは土壌や海が汚染されているから。
大久野島にいるウサギは、毒ガスの実験のために
連れてこられたウサギの生き残りのこどもたちだと言われています。
「ウサギの楽園」「海水浴場」という言葉さえも、深く考えさせられる一日でした。
交換日記をストップさせてしまってごめんなさい

みんです。
今回から私の日記の順番が回ってきたら、
8月5~8日にハイナンNETメンバーの一人と一緒に行ってきた
広島の旅の感想を書いていこうと思います☆
「8.6に広島に行こう」というところから始まった今回の旅行計画。
広島市街だけでなく、その周辺にも足をのばして、
いろいろなところを見てみたくなって、結果、個人スタディーツアーみたいに。
5日は大久野島へ、
6日は、午前中に広島城周辺のフィールドワーク、
午後は宇品港から呉周辺にかけてのフィールドワーク参加、
7日は1日かけて、平和記念公園とその周辺散策、
8日は広島市街から自転車とフェリーで似島へ…
という、なかなか盛りだくさんな3泊4日の旅行になりました。
今日は、大久野島の回

大久野島は、「うさぎの楽園」&海水浴場として知られている島で、
広島県竹原市にある忠海港からフェリーに乗って行きます。
ウサギ

実は過去、3度にわたって戦争に利用された島です

1902年に軍都広島と軍港呉を守る要塞として、砲台が作られ、
1929年には日本軍の化学兵器製造のための毒ガス工場が作られ、
朝鮮戦争の時には米軍の弾薬置き場として利用されました。
そんな島の歴史を伝えてくれる、小さな資料館が大久野島にはあります。
それが「大久野島毒ガス資料館」です。
5名以上の団体で事前に申し込めば、「毒ガス島歴史研究所」の方が、
資料館の展示や外の日本軍関連施設跡を解説しながら案内してくれます。
今回は、他の団体の皆さんとご一緒させていただいて、案内を聞くことができました!
展示室には、機密保持のために大久野島を消した当時の地図もありました。
ぽっかり、島とその周辺が空白になってるの。
大久野島に毒ガス工場ができたことについて、
・機密の保持ができる
・工場労働者が通勤できる(集落から近い)
・事故のときに周辺への影響が出にくい
・中国大陸に近い
という理由だったことを説明しながら、ガイドをしてくださった方は、
「この危険な施設は東京から遠くへという構造は原発とまったく同じだと思う」
と話されていて、本当にそのとおりだと思いました。
実際に毒ガス工場で働いた近隣住民や動員された学生たちは、
戦後、さまざまな後遺症にくるしんできたそうです。
さらに、日本軍が戦後、中国大陸に遺棄した
毒ガスの被害を受けた中国の人々との交流についても教えてくれました。
この事実を伝える展示が昨年からはじまったそうそうですが、
それ以前から、中国東北部に行って、被害者のお話を聞いたり、
広島にお呼びしたり…と学習と交流を行ってきたのだそうです。
戦後、中国大陸や、大久野島周辺にたくさんの毒ガスが埋められ、
海に捨てられ、今もそこに残っていて、いつ掘り出されてもおかしくない状態。
日本政府は、しっかりと調査して、今後の更なる被害を食い止めて、
被害にあわれた方々への謝罪と補償を行わなければならないと思います。
ガイドの方の、
私たちは「ノーモア・ヒロシマ」は言ってきたが、
「ノーモア・毒ガス」は言われていない。
二度と繰り返さないために、この事実を広めてほしい
という言葉が、とても印象的でした。
大久野島の飲料水は、すべて島の外から運ばれてきます。
それは土壌や海が汚染されているから。
大久野島にいるウサギは、毒ガスの実験のために
連れてこられたウサギの生き残りのこどもたちだと言われています。
「ウサギの楽園」「海水浴場」という言葉さえも、深く考えさせられる一日でした。