イエス・キリストの教えから
再臨主を判断することは
本来逆である
再臨主からイエス・キリストを
判断するのが
本来である
つまり 再臨主のみ言葉に
より イエス・キリストも
内包される
つまり
再臨主が
原点である
いかなることも
再臨主に
反すれば
否である
キリスト教は
ここに
整理される
主客を
まちがえてはならない
イエス・キリストの教えから
再臨主を判断することは
本来逆である
再臨主からイエス・キリストを
判断するのが
本来である
つまり 再臨主のみ言葉に
より イエス・キリストも
内包される
つまり
再臨主が
原点である
いかなることも
再臨主に
反すれば
否である
キリスト教は
ここに
整理される
主客を
まちがえてはならない
なぜ わたしから憎しみ
が消えたのか実は
わからない
神様の何ものかに
触れて消えてしまった
跡かたはある
しかし 悔い改めの涙と
ともに憎しみは
消えていた
いま 何故か
考えている
不思議なことである
いえることは
神様に触れると
憎しみが
消えたことである
あなたは嫌いな人がいるでしょう
あんな奴
いなくなればよい
と思う人がいるでしょう
さて
今 霊界にいったら
天国にいけますか
いけないでしょう
思いは全霊界を駆け巡ります
その人は瞬時に目の前に現れます
その地獄を解放しなければ
なりません
これは神様に
祈って下さい
あるいは神様を
訪ねて下さい
恩讐を許される
神様に
触れて下さい
神様の
ふるさとに触れて下さい
われしらず
自分の心に敵は
消え去るでしょう
神様は
かれを愛して
いるしあなたも
愛しています
何の話しか
わかりますか
親なる神様は
万人を愛して
おられるのです
だから
あなたも万人を
愛さざるをえません
これが再臨主の
おられる ふるさとなのです
本郷の地です
絶対愛はある
これは
敵であるか味方であるか
関係ない
まるでサタンのような人も
本心により
帰りくる
ふるさとがある
神様は
切り捨てることが
できないからである
私は殉死に
関心がある
み言葉に友に生命を
あげる これ以上の
愛はないとあるからである
それでコルベ神父などに
関心を持っている
日本では
1907年の
塩狩峠事故が有名である
三浦綾子の小説がある
若い鉄道員が
暴走する列車に
身をなげて
事故を防いだ
実際は長野政雄という
人物である
その写真を見て
驚いた
若い頃のお父さまと
似ている
ときは1907年
再臨主の誕生の
13年前である
日本には
聖霊体験する人が
沢山いた
長野さんもその一人であった
神様が
再臨主のために
された長野さんの
生き様であった