昭和20年3月18日より5月26日までの期間、小富士空16分隊(甲飛14期生)
約130名は京泊田ノ平地区の民家に宿泊して、京泊港の両岸の岩山に、震洋艇を格納
する掩体壕の構築に従事した。
この間、隊員たちは南串山の住民と家族同様のふれあいの中、軍民一体となって任務の
達成に努力して震洋特攻隊を迎える運びとなった。
昭和20年7月25日に第65震洋隊岩切部隊(乙飛20期生)が編成され8月15日
に5名の搭乗員が5隻の震洋艇で京泊基地に進出した。しかしいよいよ橘湾に米軍を迎
え撃つ決意を新たにしたところで、終戦となった。
約130名は京泊田ノ平地区の民家に宿泊して、京泊港の両岸の岩山に、震洋艇を格納
する掩体壕の構築に従事した。
この間、隊員たちは南串山の住民と家族同様のふれあいの中、軍民一体となって任務の
達成に努力して震洋特攻隊を迎える運びとなった。
昭和20年7月25日に第65震洋隊岩切部隊(乙飛20期生)が編成され8月15日
に5名の搭乗員が5隻の震洋艇で京泊基地に進出した。しかしいよいよ橘湾に米軍を迎
え撃つ決意を新たにしたところで、終戦となった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます