先週末に『パチンコ』(ミン・ジン・リー著/池田真紀子 訳/文春文庫)のオンライン読書会がありました。参加者は4人。
2017年にアメリカで刊行され大ベストセラーとなった長編小説で、今年7月に文庫化されたのを機に今回の課題本となりました。
日韓併合下の1910年の朝鮮半島・釜山から始まり、やがて舞台は大阪へ。戦争を経て1989年の在日コリアン3世までを描く物語です。
以下はネタバレありの皆さんのコメントです。ながーくなりましたが、やはり貴重なご意見なものでとっておきたく。(読みやすくするため省略や言い回しを変えたりしています)
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朝鮮半島と在日コリアンの歴史について、改めてこういうものだったのかとわかりました。
コリアンの人たちが日本で生きていく大変さっていうのは確かにあるなと。朝鮮学校やそれに関するいろんな問題がありますけど、歴史を振り返らないと普段は意識しないので、この本を読んで深く考えさせられました。読んでよかったです。
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朝ドラに近い感じというのは私も昔やっていた「おしん」を思い出しました。最後に解説の人も同じことを言ってて、確かに話の展開がドラマチックで面白い。
ソンジャが恋に落ちて妊娠してみたいな話もそうなんですけど、物語の要所要所で結構大きなことが起こるので飽きない展開で、確かに人間ドラマを強調するようなところは朝ドラとか得意だよなとか。
ただ、その人間ドラマがどうにもいたたまれない感じで、結構悲劇的なんですよね。
結婚して幸せそうにしてたのにあっさり妻が死んでしまったりとか。一番いたたまれなかったのは、ノアが自殺しちゃうっていうのが一番え?って感じでした。なかなか物語の展開的に読むのがきつかった面もありますが、最後まで読むとこのタイトルのパチンコって思った以上に深い意味があるなと。
というのは、モーザスがあまり勉強できなくてパチンコ経営をやり始めて、この人もそうだし、結局ノアもなんだかんだでパチンコ経営に携わってたとか、やっぱり結局は最後にパチンコ経営に行ってしまう。パチンコという業種がなぜか在日コリアンと深い関係がある。ノアやソロモンは決してやりたくてそこに行くわけではないのに、在日コリアンであるがために結局はそこに行き着いてしまうというのが、すごく運命的に描かれている。
また在日コリアンは「永遠に失っている民族」みたいなことを書いてあるんですよね。じゃあ、彼らはどこへ行けばいいかというと日本しかないんですけど、日本にも居場所があるという感じではない。
結局のところ「パチンコ」にその拠り所としての意味を込めているのかなと。一見、パチンコって何?みたいな違和感はあるけれど、この在日コリアンとパチンコとの何ともいえない関係性をパチンコという単語に込めているところが、まさに大作というか力作だなと思いました。
これは本当に読んでよかったと思います。
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すごく面白かったですね。
確かに私もこれすごい朝ドラっぽい、ドラマ化したら絶対面白い、映画じゃなくて連続ドラマが向いている話だなと思いました。
実際にAppleTVでドラマ化されていて、すごく評判が良かったそうです。原作よりもさらに掘り込みが深いということで、非常に評価が高いと聞きました。
割とサクサク読めるんですけど、さっきおっしゃった通り、結構悲劇的な話ではあるんですよね。
生まれては死に生まれては死にみたいなところがあるので、昔の人はよく死んだというのはあるにしても、なんでこの一族にこんなに理不尽な悲しいことばっかり起きるんだという気持ちはちょっと湧いてきますね。
さっきお話あったところでノアの自殺というのはなかなかショッキングで、彼は自分がヤクザの子供だったことに絶望してそれが周りに知られたくなくて死んでしまうわけですけど、そこまですること?っていうのはちょっとある。
それを踏まえて話を振り返ってみると、これ一族の話で家族の絆の話でもあるんですけど、血族主義の弊害みたいなものがすごい現れてる話でもある。
どこの国でも移民の人たちが最初に頼るのは先に移民として来ている親族で、そうすると自然と結束主義が強くなっていく。もともと韓国も日本も血族主義は非常に強かったと思うんですが、移民という部外者としての立場がそれをさらに強めている。
それが良い方に働いていればいいんですけど、必ずしもそうじゃないところがある。そこから自分が外れていたことに気づいてしまった時に、親は親、自分は自分と割り切って考えられず「ルーツが自分の人格に影響している、親のそのあり方が自分の人としての良し悪しに影響している」となる。そこはちょっと特異な感じがしてしまいますね。そもそも父親だと知らずにほぼ一緒に生活していない人について、そういうふうに思っちゃうんだっていう。考え方の縛りの強さみたいなのが感じられて、そこはすごく違和感でした。
あとその血族主義というか家族で助け合いは良いんですけど、家父長制の弊害でこれ嫌だなっていうのがヨセプというイサクのお兄さんですよね。
この人はお金に困っても、妻が外に働きに出るのをすごく嫌がるわけです。「男だったら自分が家族全員を養わなきゃ」っていう考えがすごく強いんですけど、お前は何を言っているんだと。ヨセプの奥さんのキョンヒが商売がうまくできそうな感じなのに、なんでそこをそんなに抑えつけるんだと。キョンヒの方もやっぱりヨセプを立てなくてはっていう気持ちがすごく強い。
これはすごい東アジア的な夫婦観というか家族観だなと思ったんですが、それぜんぜん生産的じゃないよねっていう気持ちがどうしても湧いてきてしまう。これで堂々とキョンヒたちに商売をやらせてたら、もうちょっと家計が楽だったんじゃないのっていう気がしてしまうんですよね。
男性からの女性に対する圧がすごく強いってのもあるんですけど、男性に対しても、「あなた一人で家族全員の面倒を見なさい」って圧がすごく強くて、これどっちも非常にきつい世界なのではって思ってしまいました。
ヨセプも自分の稼ぎには限界があるわけで、だんだん精神的にも荒んでいくので、その辺はいたたまれない感じがしましたね。
それと対照的だったのがソンジャの父親のフニですね。
もう本当に最初の方で死んでしまいますけど、フニって二世代くらい前の人ですが、自分がちょっと障害があったからかもしれませんが、全く初対面で結婚した妻ヤンジンを結構尊重しているし、娘のこともすごく可愛がって尊重していた。当時としては珍しいタイプの男性だったんじゃないかなと。
こういう人に育てられたので、ソンジャは当時の同年代の女性よりは若干自由なものの考え方というか、自分でなんとかするという気持ちが強い人になったのではないかなと。
なので、フニがもうちょっと生きていたら、またちょっと違った人生があったかもっていう気がしました。あと、やはり早くに死んでしまうイサクも、キリスト教徒だからというのもあるとは思いますが、やっぱり妻のことは尊重していた。
この人は自分が稼げない人であるっていう自覚があったこともあり、「自分で何もかもどうにかしなきゃ」というタイプではなかったように思えます。そのあたりがヨセプとか、あとはヤクザのコ・ハンスですよね、この人たちとはかなり対照的な男性陣の置き方になっていたように思いました。
コ・ハンスはすごい有能な人なんでしょうけれど、ソンジャがなんで自分をそんなに拒むのかというのを最後までよく分かってなかったんじゃないかという気がして、これもまた本当に家父長制の弊害、悪しき家父長制そのものみたいな人だなと思いました。
なので、当然ながら文化的な背景というのが結構色濃く出ている話だなと。それを移民2世の作者が書いたというのが、またすごい面白いところですね。
下巻の方では、移民1世の親を見て育った2世とその2世を親として育った3世との価値観の違い、世代間の価値観の違いがだんだん出てきて、その辺の分かり合えなさみたいなのが、なかなか厳しい感じになってくるなと。
(三世の)ソロモンは最初すごい無邪気で、本当に可愛がられて真っ直ぐ育ったと思うんですけど、主にガールフレンドとの関係で問題に直面する瞬間が出てきて、その辺りはやりきれないものがありますね。
祖国に対する価値観は親世代のもので、たぶんソロモンはもう韓国が祖国であるという感覚はない。ソロモンの恋人のフィービーもそう。ソロモンは日本で生まれ育ったからこっちが母国だし、フィービーはアイデンティティもアメリカ人という認識なので、フィービーとソロモンの祖母たちとのやりとりなどかなり印象に残りました。
この辺がやっぱり2世、3世の世代間の差として割とリアルな感覚なんじゃないかなと。
これは一応日本に移民してきた韓国の一族の話ではありますが、多分どこの国でも移民がいるところにはこういう感じの物語が生まれてきたんだろうなと思わせる。ローカルなんだけど、グローバルな話になっている。
そういう意味でもすごく売れた、全米100万部突破ということなので、めちゃめちゃ売れた。アメリカは移民の国だから、やっぱりこういう話は響くんだろうなと思います。
あと大学生の女の子の無頓着な差別の仕方とかがね。うわーと。これは無意識にやっていてたぶん悪気はないんだけどそれも明らかに差別ですよね、というのは移民の側、差別されている側はごまんと体験しているんだろうなという。
差別する側は基本的に悪意もなく、無頓着に差別しているというのがすごくはっきり出ていて、ちょっとグサッとくるところでしたね。
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