12月15日にオンライン読書会で、ノーベル文学賞を受賞した韓国の作家、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』(訳:斎藤真理子/河出文庫)が課題本でした。(参加者は7人)いまごろになって申し訳ありませんが、やっぱり皆さんの感想が尊い感じなので保存しておきたい、勝手ながらここに置いておかせていただきます。※ですます調を省き、ところどころだいぶ省略してます。間違っていたら訂正依頼くださいませ。
***
- 八方美人男さん
初めのほうは白いものについて単語を並べて、その後に「これになんの意味があるのか」と自分でツッコミ入れてて、笑っちゃったところもある。読み進めていくうちに、これは生半可な気持ちで読むべきものじゃない、ちゃんと姿勢を正して読まなきゃいけないと思わされた。静謐という意味では初期の小川洋子さんに似ているかなと思った。
ただ、実は姉がいて二時間しか生きられなかったという描写、そのあたりの気持ちがそこだけすごく熱い。白いものの中で、死を象徴する白と、その中に生を象徴する白が混じってくる。そういう対比は意図して表現されている。ノーベル賞も納得。
もう一度読み返して、またなるほどなと思うところがあった。ナチスに蹂躙されてしまった都市のところとか、激しいこともある一方、詩的な表現もけっこうある。
私も感想をなかなか言葉にできないが、すごく読み応えがあるのにこんなに薄い本で。ハン・ガンさんしか書けないんじゃないか。今年最後にこんな本に出会ってすごくよかった。
- くらさん
2019年にハードカバーで読んでいて、その時の自分の書いた感想を見ると、すごくいいなとは思うがあんまりよくわかってないなと。ただ、その後ハン・ガンは小説のほうでいくつか読んでいて、『別れを告げない』(韓国の島で起きた虐殺事件を題材にしている)も季節が冬で、雪の中で話が進み、すごく白のイメージ。それを読んでから再度『すべての、白いものたちの』を読むと、作者にとって白という色のイメージがどういう位置づけなのかというのがちょっと見えた感じがした。
韓国は喪服も白、お葬式も白い色で行うので、(白に)死のイメージが非常に強い。それと同時に「白は200種類ある」というように、すごくいろんなグラデーションの白が出てくる。
この作品は、生まれてすぐ亡くなった「姉の死」があり、それを私がもう一度生き直す、私の体で生き直すというような構造がある、ということを以前読んだときはよくわかっていなかった。今回訳者の斉藤さんと平野啓一郎の解説を読んでようやく理解した。平野啓一郎は小説より批評のほうがうまいと個人的には思っている(笑)
作品自体はすごく穏やかで静謐な印象だが、同時にすごく苛烈なところがある。作者の「死者との向き合い方」の描き方が、生きている側に対してものすごく厳しいと感じた。
白の美しいイメージ、汚れがなくて空気が澄んでいる、と同時に、吹雪(文庫の写真77ページ)もあり、その中にずっといれば死んでしまう。極寒で、それでも圧倒的に美しいものがある。「美しさ」と「命を奪うもの」が同時にあり、こちらを殴ってくるような厳しさを孕んだイメージがある。
『別れを告げない』でも描かれていたように、死者とどう向き合うのか、死者に別れを告げずに、常に「死んだ人はどうだったのか」と考え続けている。それは生きている人にはしんどいが、そのしんどさを引き受けなさいという所を書いている気がする。
光州事件を題材にした『少年が来る』では、たくさんの人が亡くなったことを書いている。死者が非常にインパクトのある作品だった。やはりそれを忘れないで生きていく、残された人がどのように生きていくのか、パーソナルな部分での死者との付き合いと、社会全体としての死者との付き合いとはどういったものなのか、と考え続けている作家ではないかと思う。
これはハン・ガン個人の資質もあるだろうが、韓国がどういう歴史を近年辿ってきたのかというところも影響として大きいと思う。
あとハン・ガンの長編小説はすごくいいので、機会があれば手に取っていただきたい。ハードカバーは解説がついておらず、文庫のほうが理解のための手掛かりが得られやすかった。
***
ありがとうございました。あと、その後も色々話がでましたが、全体に感想が言いづらく、白と死と生について深い印象残す作品だった、というのが共通するご意見だったんじゃないでしょうか。ノーベル賞も納得という、みなさん高評価でした。さいごは
「文学として強い。」
という言葉でまとまりました。
※前編はこちら