「枕草子」の清少納言は、28歳からの遅咲き宮中デビュー。
仕えた定子(ていし)は聡明な女性だったので、機知に富んだふたりは姉妹のように親密な間柄になりました。
しかし、定子は父の藤原道隆の死後どんどん没落して行きます。
その定子を慰めるために書き出されたのが、「枕草子」だったというのを初めて知りました。
紫式部は、日記で「枕草子」の事を「知識をひけらかしている」と批判したそうですが、200年後の鎌倉時代では、また評価は変わりました。
~ 清少納言が定子を襲った悲劇や
その後の衰えぶりを一切書かず
美しいことだけを書き残したことは
主へのすばらしい心遣いだった ~
(「名無草紙」より)
離ればなれになったふたり。定子からの、清少納言へのメッセージは、小さな紙包みにヤマブキの花びらが。
小さな黄色い花びらに
「言はで 思ふぞ」
としたためてありました。
素敵過ぎて、本当か?
と思いましたが、当時の貴族は頭の良さや粋を日常的に競っていたのだと考えるとありえる気がしました。
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