映画が意外とあとを引いたため、原作マンガも読んでみました。もはや作品の凄みにやられたのかエピソードの辛さにあてられているのか、よくわからん状況です。
<あらすじ>自殺した親友・マリコの遺骨を虐待父から奪って逃げたシイノは、たどり着いた海辺でひったくりに遭い無一文になる。同時に出会った青年・マキオに助けられるものの、シイノはマリコのことしか頭にないのだった。
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どうしても映画と比べながら読んでしまうわけですが。映画はほとんど原作通りでした。
マンガは展開が速くてどんどん読ませるけれど、場面ごとに叙情深い渋みがあり、映画にしたくなるのわかる気がしました。ちょっと、ハードボイルドな雰囲気。遺骨を抱えて川を渡る場面は、映画のほうが効果音もあるせいか、ぐっときました。
あと思ったのは、映画の永野芽郁はよかったのですが、見た目が愛情不足で育った柄の悪いオネーチャンて感じではなく、可愛さが邪魔しているなと。マンガのほうが、シイノのガラッパチな感じとマリコの可愛らしさの対比がはっきりしていました。
それで、この話、あとをひく要因はワタシ的にふたつありまして。
それは、「どうしてシイノはマリコを見捨てなかったのか」と、「ラストの手紙の内容が明かされていない」ことでした。
映画の感想でも書きましたが、シイノも言うようにマリコは「面倒くせえ女」です。眼の前でリストカットしたり、暴力彼氏から守ってくれたシイノを裏切るようなこともする。普通なら、こっちが参ってしまってとっくに絶縁していてもおかしくない。
これに確たる答えはないですが、まず「共依存」という言葉が浮かびますよね。シイノは行動力やガッツのある性格で「マリコを助ける、守る」という庇護欲で動く。マリコはシイちゃんに真剣に怒ってもらえるのが嬉しい。
けど、漫画を読んでもっと感じたのは、なによりシイノはマリコを愛していたんじゃないかなあと。愛していたから守りたかったのに、何も出来なかった無力感。残された者の虚無感は凄まじかったと思います。
だから、ラストでマリコからの手紙を発見したときは、救われた思いがしたでしょう。映画でも漫画でも、手紙の言葉は示されないのでちょっと拍子抜けしてしまう面はありますが、「シイちゃんへ」という言葉だけで、死ぬ間際にもシイノのことを思っていたことがわかります。ここで感動的な言葉みたいなものを聞かされないほうが、情感過多にならないでいいのかも。
てなことを、書きながらつらつら考えました。