原作は平庫ワカによる同名マンガ(私は未読)。映画館で映画を観たくてちょうど都合のいい時間帯でやっていたのがこの映画だった。
「女の友情」と向き合った話を観てみたかったのもあり。
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ブラック企業で営業として働くシイノトモヨ(永野芽郁)は、ある日テレビニュースで幼馴染みのイカガワマリコ(奈緒)が自宅マンション5階から落ちて死んだことを知る。
マリコは実の父親からずっと虐待されており、シイちゃんと呼ばれてきたシイノは葬式もされなかったマリコの遺骨を奪い逃走。マリコが生前行きたいと言っていたある場所を目指す。
■遺骨を奪ったとて
シイノがマリコをクソ父親から守りたかった(生前はそれが出来なかった)気持ちは分かるが、遺骨を奪ったとてどうなのか。ストーリーの決着としてはどこに向かうのか、と思って観ていた。
マリコはどん詰まり機能不全な家庭で育っていたが、シイノも中学生からタバコを吸うなど生育環境はよくない様子。いまも佇まいがスレており、仕事もブラックで是非とも続けたいという感じではない。
だから会社を抜け出し遺骨を強奪して社会的に死のうとどうなろうと、どうでもいいというやぶれかぶれ感がありありと出ていた。
■面倒くさいマリコ
シイノが旅の途中で思い出すマリコの記憶は常に痛い。過酷な境遇で憐れなマリコだが、はっきり言えば面倒くさいメンヘラだ。
「シイちゃんに彼氏が出来たらわたし死ぬ」と脅しながら、自分は彼氏がいる間連絡もしてこない身勝手ぶり。それでもシイノはマリコを突き放すことはできず親友でい続ける。
あんまり「共依存」という言葉は使いたくないけれど、シイノはシイノで孤独と問題を抱えていて、マリコが拠り所になっていたのだろう。もしかすると、友情以上の愛情を抱いていた部分があるかもしれない。
■奪われ続けるマリコ
マリコは「おまえのせいで」殴るし襲うし出ていくと責められ続けて、ろくでもない男としか付き合えない。父親を始めとするクズな男たちに人生を奪われ続けていた。マリコが何故死んだのか、理由なんて説明するまでもない。
しかし、マリコのような人は珍しくないし、実際よくいるのだろう。フィクションとしては弱いと言う人もいるかもしれない。
だがわたしは無性に悲しく、途中からずっと涙目で観ていた。マリコほどではないにしても、「女」というだけで色々と奪われ続ける悲しさが身に染みた。また、こういう人を「ありがち」「自己責任」と見捨て続ける世の中を痛感してしまうから。
■奪われたものを奪い返す物語
最終的に何かが変わるわけでも、胸のすくような仕返し劇があるわけでもない。それでもこれは、ずっと奪われ続けてきた女が、やっと「奪い返す」物語なのだと思う。シイノはマリコの遺骨を奪い、父親から取り戻す。シイノ自身もまた、奪われたものを取り返していた。
物語の終わり方は若干物足りなくもあったけれど、後から考えるとあれはあれで悪くない気もする。友情を殊更キラキラさせていないところがよかった。