令和3年6月29日(火)
近畿日本鉄道主催 きんてつハイキング てくてくまっぷコース
「❹東海道 富田から萬古焼のさと四日市」の続きです。
東海道
ここは四日市
東海道を進んで行きます。
すると一本の立派な松の木が見えてきました。
「かわらずの松」
この松は、樹齢二百年で江戸時代より東海道を行き交う旅人を見守っていたことだろう。
昭和十三年国道一号線が出来るまでは、幹線道路として往来が激しく賑わった道路であった。
戦前は、この付近の東海道沿いには多くの松が植えられていて、松並木の風景が見られたが、
戦後は経済の発展に伴い道路の拡幅と松くい虫の被害を受けて東海道の松並木は姿を消した。
現在四日市では往時の松が残っているのは、日永地区と羽津地区の二本だけとなった。
羽津地区の松を、その昔この地域を「かわらず(河原須)と呼ばれており、その地名を取って、
「かわらずの松」と命名し、いつまでも愛護していきたい。
平成十九年六月吉日
かわらずの松を越えて、さらに東海道を進んで行きます。
堀切橋
小さな川がありました。
この川は昔からあったのかなぁ?
ひょっこり現れた日傘をさしたお方。
このお魚屋さんへ
お魚専門店がポツンと一軒。
お隣は医院でした。
ちょっとモダンな感じですね。
お魚屋さんもお医者さんもいつからあったのかしら?
東海道沿いにあるので、だいぶ昔からあったと思います。
鳥居がありました。
「志氐神社(しでじんじゃ)」です。
鳥居の真ん中に石が置かれている、ちょっと変わった神社でした。
そして道の反対側にも石がありました。
「妋石(みよといし)」です。
かつて東海道は伊勢への参宮者の往来が多く、東海道に面した志氐神社第一鳥居の辺りに、
道を隔てて西側にも大きな石があり、この二つの石は「妋石(夫婦石)」と呼ばれています。
志氐神社には、イザナギ・イザナミという夫婦の神様がお祀りされており、
縁結び・夫婦円満の御神徳があります。
そのことから古書にも「婦女の婚姻を求むる祈願を之になす」と記述があり、
古来より東海道を行き交う多くの旅人は、この夫婦一対妋石を撫でて縁結び、
夫婦円満の願いを込めました。
東海道から一旦離れて、志氐神社へ続く参道を進んで行きます。
だいぶ距離がありそうですが行ってみます。
(○'ω'○)ん?
近鉄特急ひのとりが通過中。
参道途中に咲いていた芙蓉
アガバンサス
線路を越えるとすぐ、神社への入り口がありました。
志氐神社へお詣りに行きます。
おじゃましまっす
この神社はたぶん初めてのお詣り。
なんかソワソワw
長くなりましたので、続きはまたにします。