令和7年2月25日(火)
名古屋鉄道主催 2025年 常設コース❸
「❸学びの森と市民公園を巡る早春の各務原歴史探訪」の続きです。
「旗本徳山陣屋公園」の門前までやってきました。
旗本徳山陣屋公園
江戸時代にこの辺りを治めていたのが旗本徳山氏でした。
関ヶ原の戦いで東軍につき戦果をあげたそうです。
家康公からの信頼も厚く、五千石を賜り明治維新までの約250年間、12代に渡って
当地を治めました。
ここには旗本徳山氏の陣屋がおかれ、更木陣屋と呼ばれました。
陣屋とは、お城を持たない旗本の屋敷で、その領地経営の中心として機能していました。
更木とは昔の各務原のことだそうです。
傍まで一般の住宅が迫っていましたが。。。
とりあえず門を潜ってみることにします。
池がありました。
庭園だったのでしょうか?
なかなか広い規模の敷地です。
あそこに掲示板らしいものがありますね。
行ってみます。
旗本徳山氏は、江戸市中に屋敷を構え、通常は幕府の役人として暮らしていて、
ここには主に家臣が常駐し領地の経営に当たっていました。
あの池はやっぱり日本庭園だったみたいですね。
一応区画されていましたが、何か板のようなものが設置されていました。
表居間 十五畳w
部屋名のプレートでした。
奥の端っこの方へ来てみました。
小さな区画に「小者へや」とありました。
使用人の部屋かしら?
狭すぎない?
山茶花の花が綺麗に咲いていました。
グルっと一周してみます。
本当は傍まで建っている民家も敷地だったそうですw。
かなり広かったのですね。
ぬこが見ていました。
敷地内に梅の樹がありましたが、まだまだ小さな蕾です。
当時もこういう休憩所なんかがあったのかな?
今となってはわかりません。
サンシュユの名札が掛かっている樹がありました。
まだまだ蕾です。
そろそろコースへ戻ります。
公園を出て右へ進んで行きます。
空き地にホトケノザがいっぱい咲いていました。
ここからコースは住宅街へ突入していきます。
学校のチャイムが聞こえてきます。
学校が近いのかな?
長くなりましたので、続きはまたにします。