私は趣味で郷土史を勉強しています。
須磨の海岸線、観光ハウス「花月」のある場所は「赤石の櫛淵」と言われる交通の難所でした。一の谷から三の谷の向こうまで櫛の歯のように凸凹と入り組んでいますね。
ここは摂津のはずですが、なぜか「あかしのくちぶち」と呼ばれています。どちらともいえないなんて、まさに境界なんですね。
「あかし」の名前の由来は?(明石市HP)
マネちゃんが面白い話をしてくれました。
ワイルドな子供だったマネちゃん、お祖父さんから土器をいただいたことがあるようです。既に無くしてしまったようですが、「花月」を立ち上げた頃、谷にたくさんの横穴があって、お祖父さんはそこから土器を見つけたようです。
マネちゃんの記憶では青灰色だったそうなので、おそらく「須恵器」ですね。須恵器は古墳時代中期、およそ5世紀の中頃より作られ始めたと言われています。
私は「うっそ~、こんな海辺の吹き曝しの場所に、いくらなんでも住めないのでは?」「古代人の住居跡?本当かなあ??」と思っていたのです。
しかし鉢伏山にはもともと高地性集落があったようです。このような集落は砦のような役割を担っていたらしく、明石の櫛淵と鉢伏山は海岸線の見張り台としてふさわしい場所であると思われます。また単なる見張り台に留まらず定住者も多くいたようです。
潤和横尾遺跡現地説明会資料 (神戸市教育委員会)
鉢伏山南麓が海に落ちる場所、ここは「讃岐石(サヌカイト)」の産地でもあります。この石は石器等の材料になる石です。
讃岐や小豆島あたりから多く産出されるらしいのですが、淡路の岩屋付近を経て本州では明石から須磨浦公園あたりにのみ存在するそうです。古代の資源としては有益ですね。
世界の至宝 サヌカイト(香川大学工学部長谷川研究室)
http://www.eng.kagawa-u.ac.jp/~hasegawa/sanukiteNew.pdf
http://www.eng.kagawa-u.ac.jp/~hasegawa/sanukiteNew.pdf
マネちゃん、疑ってごめんなさい。
横穴はよく調べたら住居ではなく、古墳時代の横穴墓かもしれません。お祖父さんの見つけた須恵器はその副葬品かもね。
しかし、それよりもずっと昔からたくさんの先史人たちがここで石器を作って、物々交換しながら生計を立てていた可能性も否めなくなってきましたよ!
明石原人の夢再び・・・明石原人は今では縄文時代以降の現代人とされましたが、まだ100%ロマンがついえたわけではないそうです。
「だったらここも、まだわからないよね!」もっと前には「原始人」いたかも???
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【公式】神戸須磨の会席料理ランチ・ディナー │ 味と宿 花月
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