半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

大き過ぎる大義名分には要注意!?

2009年05月13日 13時10分37秒 | よもやま話
こんにちは、半次郎です。

私たち人間は与えられた仕事をこなすことで対価を頂き、生活をしているのですが、放っておくとこれがどんどんエスカレートし、やり過ぎの状態になってしまいます。

例えば、報道と言う名の下に、被害者や加害者の私生活での暮らしぶりを見せたり、書かなくて良いことまでこと細かに書いたり、周囲の迷惑を顧みず大勢で至近距離まで近づいてフラッシュを焚いたり…。

この“やり過ぎ状態”は何故起こるのでしょう?
…言わずもがな、人間の持つ様々な“欲”が引き起こすものです。

半次郎は、その“欲”それ自体を否定するつもりはありません。
少なからず、人類がここまで発展してきた原動力に違いないのですから…。

ただ、昨今の社会を見てみると、“欲”を通り越して“強欲”に走り過ぎているのではないかと感じてしまいます。

では、一体、どこまでが許される範囲で、どこからがやり過ぎなのでしょう?
その線引きは非常に難しいのですが、大義名分が大袈裟なものであればあるほど、やり過ぎの状態になるのではないかと思います。

“正義”だったり“平和”だったり、“人権”だったり…、そんな大仰な言葉が見え隠れするようになると、やり過ぎの状態になり易いのかと思います。

“平和”の名の下に行われた戦争のなんとも惨い地獄絵を見れば、大義名分がやり過ぎの状態を作り出すと言うことが理解できます。

どんなに崇高な理念を掲げようと、やっていることはただの殺人です。
監獄に入れられている死刑囚の犯した行為と何ら変わりません。
そのことが兵士の心理に悪影響を及ぼしていることから、罪の意識を軽くするために大義名分が存在するのではないでしょうか。

“死刑廃止論”も、案外、そんな理由が背景にあるのかも知れませんね。
“殺人”自体の罪が軽くなれば、兵士たちの心理的な圧迫感は軽くなりますから…。

それはさておき、今の世の中が、御国のためとか同朋のためなどと言っていた“あの頃”と比べて、いやもっと遥か昔と比べても、人を突き動かす要因は変わらないようですね。
政治家が選挙の度に『日本のため』とか『国民のため』と連呼するのも、その方が動きやすいからなのでしょう。

くれぐれも、大き過ぎる“大義名分”には注意しましょう!

過ぎたるは、猶、及ばざるが如し。
肝に銘じておきたいですね。

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