2021年8月15日のニュース スポーツ事業の強化を パリ五輪に向けて。 「私たちはやり遂げた」のか 五輪とナショナリズム。
8月15日のニュース
スポーツ事業の強化を パリ五輪に向けて
東京オリンピックの聖火台の火は消えたが、数十億ドル規模の物語が終わったわけではない。この炎はフィリピン人の感覚をこの先も鼓舞し続けるだろう。マニラに戻ったオリンピック関係者は、スポーツ時代の幕開けを描き始めるべきだ。ハイディリン・ディアス、ネスティ・ペテシオ、カルロ・パーラム、エウミル・マーシャルらが歴史として刻んだものを忘れてはならない。
比を代表して最高のパフォーマンスを見せてくれた誇り高い19人の選手たちは、終わりの見えない新型コロナ禍で「英雄」として、われわれの正気を保つ役割を果たしてくれた。特にサンボアンガ市出身のディアスが比史上初の金メダルを重量挙げで獲得したシーンは、暗い時代にあった国を引き上げたことで、その価値は記憶されていくだろう。
銀メダルを獲得したペテシオ、パーラム、銅のマーシャルの3人がパンチを繰り出すたびに大歓声が上がり、一撃を食らうごとに痛みと感動はボクシング好きの国民を熱狂させた。国旗を表彰台に掲げたメダリストたちは、数千万ペソの報奨金や住宅などの特典の価値に見合う偉業を成し遂げた。メダルに届かなかった15人にも50万ペソが与えられている。
記憶や評価は次第に薄れるが、メダルは色あせていく財産とは違う。2024年のパリ五輪に向け、彼らが築いた基盤の上でスポーツ事業は強化が望まれている。結局のところ、メダリスト4人が見たいのも、次期五輪に準備万端で立ち向かう、ハングリー精神旺盛な選手の姿なのだ。(10日・マニラブレティン)
「私たちはやり遂げた」のか 五輪とナショナリズム
世界中の政権が、スポーツはナショナル・アイデンティティーを強めることができると認識している。特に五輪は国のステータスとなる。歴史的にも各国政府は「私たちはやり遂げた」と国民に伝えるために五輪を使ってきた。1964年、日本は東京五輪を第2次世界大戦からの完全な復興の証しとした。
五輪の政治的価値こそ、巨額をかけて開催を誘致するゆえんだ。今回、オリンピック委員会が206の出場国を認める中、全選手の約半分をわずか14カ国が占めた。そのうち、GDP世界2位と11位の中国とロシア以外は経済協力開発機構(OECD)加盟国だ。この14カ国がメダルと新記録を独占している事実にも驚かない。
とはいえ、残りの192カ国にとっても五輪の影響は大きく、メダル数や超大国のステータスよりも、大会参加経験を国民が共有することに意味がある。
一方で、勝利への集団的な渇望はマイノリティーに対する差別を軽減させる。また、新しい国が国家意識を高める機会にもなり、内部分裂がある国の愛国的な国造りの貴重な機会でもある。国民が共通の経験をすることで、民族間の不信感が軽減され、主にアフリカで国内の民族衝突を劇的に緩和することが分かっている。
最近では、テニスの大坂なおみの活躍や発言が、民族やジェンダーの古い偏見をなくすために多くの日本人をも動かしてきた。大坂が東京五輪で灯した聖火は、重要な社会的分岐点としての意味を持つようになるだろう。(7日・インクワイアラー、ケロッグ経営大学院教授 ナンシー・キアン)
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