2021年11月21日のまにら新聞から_新聞論調
11月21日のまにら新聞から 新聞論調
ウソはマルコス家の常とう手段 繁栄は借金で作られた幻想
我々経済学者は未来を予測するために過去を研究している。人は似た状況で同じことを繰り返しがちだ。フェルディナンド・マルコス元大統領はウソを多用した。彼は戒厳令を布告した理由についてウソをついた。公金を懐に入れたことはないとウソをついた。最大のウソは彼の治世下のうちの1965年から83年まで、国は「黄金時代」を迎え繁栄したというものだ。
マルコスは外国からの借金で経済成長を誘導した。65年に6億ドルだった国の債務が失脚した86年に43倍の260億ドルとなった。大規模公共事業が人々に発展の錯覚を与えたが、雇用創出や生産性向上に失敗した。見せかけの豊かさの陰で、国の競争力が失われ、借金漬けとなった。
マルコスの借金を返すのに30年かかった。タイとマレーシアは1人当たりの国民所得を65〜90年、10倍にしたが、比は3倍にとどまった。仕事不足から比人は、家政婦や単純労働者として海外就労しなければならなくなった。貧困の根はマルコスの治世にあったのだ。
親の世代が体験したマルコス時代の圧政を我々の多くが忘れている。言論・集会の自由が奪われ、逮捕状なしの拘束、拷問、暗殺が頻発した。
ボンボン氏は、マルコス家が持つ巨万の富について、判決を含め山のような証拠があるのに、1ペソたりとも盗んだものではないとウソをつき続けている。ウソはマルコス家の常とう手段だ。
ボンボン氏が大統領になったら、ウソと偽りの政治を行うだろう。彼の願いは国の課題を解決することではなく、父の汚名をそそぎ、一家の犯罪を無しにすることだ。
ボンボン氏は父の時代の「繁栄」を取り戻すと約束している。現状に疲れた人々はそのウソを信じるかもしれない。しかしそれは弱い経済、貧しい人々、抑圧された社会を生むだけだ。偏見を捨て、理性を持って大統領を選ぼうではないか。(17日・スター、経済学者アンドリュー・マシガン)
映画館はおしまいか 比初の映画館と映画
国家文化芸術委員会(NCCA)によれば、フィリピンで初めて映画を上映したのは、ウォルグラという名前の英国人で、1900年マニラ市イントラムロス内サンタロサ通りの映画鑑賞専用の建物、すなわち映画館でのことだった。
その2年後、2番目の映画館「パリジャン映画館」をスペイン人のレバルバルという起業家がキアポに開いた。
フィリピン人による初めての映画館は、03年ホセ・ヒメネスによってトゥトゥバン駅前に建てられた。その名は「リサール映画館」。その後、映画が多く供給され、映画館が林立するようになった。
ストーリー仕立ての映画で、フィリピンで初めて作られたのは09年の「フィリピンのバラ」だった。カール・レメリーの独立映画会社であるIMP社の8分、760フィートの映画が10年にアメリカで封切られた。11年に比でも封切られたとき、新聞に「初めて比で製作された映画の一つ―帝国時代の劇的な物語」との広告文が出た。
それからも映画館はさまざまな変遷をたどった。映画はいまやフィリピン人が好む娯楽となった。しかし昨年、感染症への防疫規制によって映画館が閉じられた。今、徐々に映画館が再開しつつある。ネットに飽きた人々が映画館に戻り始めている。
観客は定員の30%以下で、ワクチン接種完了、マスク着用、食事禁止、社会的距離などの順守が条件だ。ホームシアターがいかに立派でも映画館には映画館にしかない魔法と高揚感がある。
とはいえ、映画館はこれからも生き残れるのだろうか。見たい映画を随時ネットで見ることが一般化して、人々の映画の見方が大きく変わった。
コロナ禍により芸能界はいまだ立ち直りに向け苦闘している。映画配給会社で倒産した会社もある。来年の新常態を前に業界は今、移行期にある。(19日・マニラブレティン文化担当編集長ロバート・レキンティナ)
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