美味しいお散歩。

すべては必要でうまくいっている。
だから大丈夫。
「命」は「いのち」。

母のこと。

2024年07月18日 16時46分03秒 | つらつら日記

父の訃報を聞いたのは20年前の福岡に住んでいた時でした。
ずっとずっと主人がそばで支えてくれました。
そして一昨年、母が亡くなったと聞いた時に、
思い出すのは、あの日の主人の事ばかりで、
いま主人が隣にいない自分は、なんてちっぽけなんだろう、
ひとりになってしまった、と思いました。

帰省する準備もはかどらず、まとまらない。
礼服が見つからない。前回はいつ着た?

母は何日か前にPCR検査を受けて陰性とわかったところでした。
実は私も何日か前に検査を受けて陰性とわかり、
念のための待機も終わったところでした。

虫の知らせはなかったけれど、きっと母はそれまで待ってくれたのかもしれません。
待機中なら帰省できなかった。
お通夜、葬儀に参列できないなんて、
最期のお別れができないなんて、
考えただけで胸が張り裂けそうです。
もっとも恐れていたことでしたから。

かばんに主人の写真を入れて行きました。




リハビリ。

2024年07月12日 00時54分50秒 | つらつら日記

リハビリは医院内にあります。

どんな先生が担当して下さるんだろう・・・。
明るくて元気な先生より、もの静かな人がいいなあ・・・。
喋りやすいから。

ま、中間くらいの男性でした

腰の状態(腰椎すべり症)と、将来は手術が必要だと医師に言われたことを話したら、

「大丈夫です!良くなります!」と言って下さり、
「嬉しいです~涙出ます~」
と思わず言ってしまった。ちょろい患者です。


「ご自身で思う良い姿勢と悪い姿勢をしてみて下さい。」

座って背筋を伸ばしたりしてみたら、

「どちらも腰が仕事してて休めてない状態です。」

「え~・・・」

月に10万歩歩く仕事なんですよ。と話したら驚いてました。

そして1か月半くらいして、
だいぶと良くなってきたし、痛みも消えました。
そろそろリハビリはいいかな、
でも言いにくいしどうしようかと思ってたら、
「夏場暑いですしね、、、」
と、先生の方から話が出て、めでたくリハビリ卒業となりました。
考えたら昨年の今頃ですね。

リハビリの先生(理学療法士)の仕事ってほんと素晴らしいし尊敬する。
主人に関わってくださった病院の先生(ミュージカルにも登場した)、
訪問リハビリの先生、デイサービスの先生、
全ての先生が希望と生きる力を与えて下さいました。
目に見えて回復できなかったり、根気のいることだし、
患者本人が投げ出してしまうこともあると思う。
その精神面の支えにもなって下さる仕事だと思う。

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ぎっくり腰(昨年)。

2024年07月05日 19時21分31秒 | つらつら日記

昨年のお話ですが、
朝起きようと体を起こしたら、

ぐきっ!


うわ~やってもた~。
仕事休まなあかん~。
居宅にメール、ホームのリーダーにライン。
状況とお詫び。

2階で寝てるのでどうやって1階に降りるか。
どうやってもなんも手すりにつかまって這って降りるしかない。
「うーっ」とうなりつつ、なんとか階段を降りて、痛み止めを探して飲んで、
椅子に座っていると痛みが緩和されて・・・

あれ?大丈夫やんっ!

と思ったら、激痛で立てない。
でもトイレに行きたいー。
脂汗を流しながらなんとか用をたして、
また椅子に戻って、座っているとマシになるのに、
立ち上がる時に激痛、の繰り返し。

以前はマンションの斜め前に大きな整形外科病院があったので、
歩く距離も少なく、
それより何より主人がそばで支えてくれたから、なにも怖いことなかった。

ひとりで耐えねば。
ひとりで乗り越えねば。

支援や夜勤に長い間、穴を開けたくない。
自転車に乗るのは良くないらしいので歩いて行ける整形外科に。
待合の椅子に座ったはいいけど、
名前を呼ばれても立てない。
看護師さんに手伝ってもらって診察室へ。

そして・・・。

先生、怖え~きつぅ~いやや~。
質問にうまく答えられないと、「そうやのうて!」と言われる。
そして先生の指示する姿勢や動きを全てすんなりできたので、
あれ?って感じで診察を終えた。

でもレントゲン写真を見て、先生が驚いて、
かなり悪いです。このままでは将来手術が必要になります。

えー・・・

リハビリを行うよう言われました。

痛み止め、筋肉の緊張を緩和させる薬、胃腸薬。


お薬の袋の裏に服用確認のための表が印刷されてるんですね。
前からあったのかな、気が付かなかった。


対処療法と理学療法っすね

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かぁー。

2024年06月29日 01時55分33秒 | つらつら日記

すごいです、カラス。
以前はゴミ出しの日の朝だけだったのが、
朝から夕方までずっと電線にいて鳴いてます。
今の住居に越してから10年以上になるけど、
毎日こんなにたくさんのカラスがカァカァーと鳴いてるのは初めてです。
ゴミを漁るので道にゴミが散乱してます。
ちゃんとゴミネットを被せていても、
その下からほじくり出してるのも見ました。
各局のニュースでカラスの繁殖時期で狂暴化していて、
子供や縄張りを守るため人を襲うこともあると報じていました。

カラスから頭を守るには、
両腕を上に伸ばすといいらしいです。
カラスは目がいいので、羽を広げた時の大きさが、
人間が頭の上に伸ばした両腕の間には入らないと判断し、
襲うのをやめるそうです。

 

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組み立て。

2024年04月19日 23時51分05秒 | つらつら日記

分別こみ袋スタンドを買った。
自分で組み立てるやつ。

ふ~む。


なんや!
どないなってんねん!わからん!


奮闘しながらなんとか完成


昔は得意だったのになあ。
こういう組み立ては主人より私のほうが。
いまじゃあ何度見ても読んでも説明が頭に入って来ん。
カンでも無理になってきてる有様です。

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ガスの火。

2024年02月24日 19時35分44秒 | つらつら日記

あ~らら。やってもた。
鍋を火にかけてて出来上がったので、
コンロから鍋を居間に持ち運んで食べ始めて、
数分後に台所に戻ったら・・・・



わーっ!!ガス点けっぱなし!!
消してないーっ!!

暗い台所にガスの火が妖しく燃えていました。
(写真は改めて撮影したものです)
怖い~危ない~。
そういや前にもこんなことあったような・・・。

ありました。2018年に全く同じことが

ひとり鍋の季節

あー懲りてない。
年寄りの一人暮らしなんだから、ひと一倍気を付けて然るべき!
無事でよかった。

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奈良(2022年1月)。

2023年12月17日 01時16分04秒 | つらつら日記

母の嫁入り道具のひとつ、タンスです。年期が入った色してる。
子供の頃は私の下着や靴下なども引き出しに入っていた。
家族皆で使うタンスだった。
右上のガラスの扉にはタオルやハンカチが入ってたっけ。
側面には確か駅の時刻表が貼ってあった。
単線で本数も少ない田舎の駅だけど、
電車で出かけるのはワクワクして好きだった。


これは以前にもアップした、鏡台。
母は化粧をしない人だったので、
何年も同じ化粧品を使っていた。
私はその化粧品の香料が好きだったなあ。
そしてたまに化粧して余所行きの顔になる母が好きだった。


これは近所の親戚の家の屋上で従妹達と撮った写真。
私は抱っこされてる女の子。右端は兄。


これは小学生時代の兄の写真。
なんかすごくかっこよく見えて、私のお気に入りの写真だった。


なんだかなあ・・。
みんな、みんな、歳とって、変わっていって・・。
この頃は今の自分なんて想像もできないよね。
(2022年1月)

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カレーの思い出。

2023年12月16日 02時33分22秒 | つらつら日記

子供の頃は母の作るカレーが好きではありませんでした。
確か、カレー粉とか、小麦粉を使ってたと思う。
小学校から帰って来た時に、
母が台所の勝手口で玉ねぎをむいていたら、

「あぁ・・今日はカレーかぁ・・・」

と、がっかりしたものです。

でも主人と付き合っていた頃、
主人はカレーが好きだと言って、
カレー専門店に連れて行ってくれました。
私は正直「ええ~カレ~」と思いましたが、
付き合い始めたころなので何も言えずについて行きました。

で、カウンターに座って目の前に出てきたのは、

濃い茶色のカレー!!

え?なにこれ?茶色?
しかも平たい皿に入ってるよ!
福神漬けやらっきょうも自由に食べられるよ!

びっくりでした。
母のカレーは黄色くてサラサラのカレーだったし、
当時は深さのある器に入ってました。

TVでしか見たことのないとろとろの茶色いカレーに驚き。
食べても美味しくて、いっぺんにカレーが好きになりました。

お店の場所(なんば)も名前も覚えてないけど、
まだあるのかな。懐かしいカレーの思い出でした。

ちなみに父も兄も母の作るカレーが大好きでしたよ

 

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