父の訃報を聞いたのは20年前の福岡に住んでいた時でした。
ずっとずっと主人がそばで支えてくれました。
そして一昨年、母が亡くなったと聞いた時に、
思い出すのは、あの日の主人の事ばかりで、
いま主人が隣にいない自分は、なんてちっぽけなんだろう、
ひとりになってしまった、と思いました。
帰省する準備もはかどらず、まとまらない。
礼服が見つからない。前回はいつ着た?
母は何日か前にPCR検査を受けて陰性とわかったところでした。
実は私も何日か前に検査を受けて陰性とわかり、
念のための待機も終わったところでした。
虫の知らせはなかったけれど、きっと母はそれまで待ってくれたのかもしれません。
待機中なら帰省できなかった。
お通夜、葬儀に参列できないなんて、
最期のお別れができないなんて、
考えただけで胸が張り裂けそうです。
もっとも恐れていたことでしたから。
かばんに主人の写真を入れて行きました。
リハビリは医院内にあります。
どんな先生が担当して下さるんだろう・・・。
明るくて元気な先生より、もの静かな人がいいなあ・・・。
喋りやすいから。
ま、中間くらいの男性でした
腰の状態(腰椎すべり症)と、将来は手術が必要だと医師に言われたことを話したら、
「大丈夫です!良くなります!」と言って下さり、
「嬉しいです~涙出ます~」
と思わず言ってしまった。ちょろい患者です。
「ご自身で思う良い姿勢と悪い姿勢をしてみて下さい。」
座って背筋を伸ばしたりしてみたら、
「どちらも腰が仕事してて休めてない状態です。」
「え~・・・」
月に10万歩歩く仕事なんですよ。と話したら驚いてました。
そして1か月半くらいして、
だいぶと良くなってきたし、痛みも消えました。
そろそろリハビリはいいかな、
でも言いにくいしどうしようかと思ってたら、
「夏場暑いですしね、、、」
と、先生の方から話が出て、めでたくリハビリ卒業となりました。
考えたら昨年の今頃ですね。
リハビリの先生(理学療法士)の仕事ってほんと素晴らしいし尊敬する。
主人に関わってくださった病院の先生(ミュージカルにも登場した)、
訪問リハビリの先生、デイサービスの先生、
全ての先生が希望と生きる力を与えて下さいました。
目に見えて回復できなかったり、根気のいることだし、
患者本人が投げ出してしまうこともあると思う。
その精神面の支えにもなって下さる仕事だと思う。
昨年のお話ですが、
朝起きようと体を起こしたら、
ぐきっ!
うわ~やってもた~。
仕事休まなあかん~。
居宅にメール、ホームのリーダーにライン。
状況とお詫び。
2階で寝てるのでどうやって1階に降りるか。
どうやってもなんも手すりにつかまって這って降りるしかない。
「うーっ」とうなりつつ、なんとか階段を降りて、痛み止めを探して飲んで、
椅子に座っていると痛みが緩和されて・・・
あれ?大丈夫やんっ!
と思ったら、激痛で立てない。
でもトイレに行きたいー。
脂汗を流しながらなんとか用をたして、
また椅子に戻って、座っているとマシになるのに、
立ち上がる時に激痛、の繰り返し。
以前はマンションの斜め前に大きな整形外科病院があったので、
歩く距離も少なく、
それより何より主人がそばで支えてくれたから、なにも怖いことなかった。
ひとりで耐えねば。
ひとりで乗り越えねば。
支援や夜勤に長い間、穴を開けたくない。
自転車に乗るのは良くないらしいので歩いて行ける整形外科に。
待合の椅子に座ったはいいけど、
名前を呼ばれても立てない。
看護師さんに手伝ってもらって診察室へ。
そして・・・。
先生、怖え~きつぅ~いやや~。
質問にうまく答えられないと、「そうやのうて!」と言われる。
そして先生の指示する姿勢や動きを全てすんなりできたので、
あれ?って感じで診察を終えた。
でもレントゲン写真を見て、先生が驚いて、
かなり悪いです。このままでは将来手術が必要になります。
えー・・・
リハビリを行うよう言われました。
痛み止め、筋肉の緊張を緩和させる薬、胃腸薬。
お薬の袋の裏に服用確認のための表が印刷されてるんですね。
前からあったのかな、気が付かなかった。
対処療法と理学療法っすね
すごいです、カラス。
以前はゴミ出しの日の朝だけだったのが、
朝から夕方までずっと電線にいて鳴いてます。
今の住居に越してから10年以上になるけど、
毎日こんなにたくさんのカラスがカァカァーと鳴いてるのは初めてです。
ゴミを漁るので道にゴミが散乱してます。
ちゃんとゴミネットを被せていても、
その下からほじくり出してるのも見ました。
各局のニュースでカラスの繁殖時期で狂暴化していて、
子供や縄張りを守るため人を襲うこともあると報じていました。
カラスから頭を守るには、
両腕を上に伸ばすといいらしいです。
カラスは目がいいので、羽を広げた時の大きさが、
人間が頭の上に伸ばした両腕の間には入らないと判断し、
襲うのをやめるそうです。
分別こみ袋スタンドを買った。
自分で組み立てるやつ。
ふ~む。
なんや!
どないなってんねん!わからん!
奮闘しながらなんとか完成
昔は得意だったのになあ。
こういう組み立ては主人より私のほうが。
いまじゃあ何度見ても読んでも説明が頭に入って来ん。
カンでも無理になってきてる有様です。
ドラッグストアで、「これいっぺん使ってみよう!」
と、買って帰ったら、すでに同じものが1本洗面所に・・・
そういや何週間か前にも同じこと思って買ったんやった。
いよいよきたか私
神社の境内に置かれていました。
消毒液の設置場所も減ってきてるし、
以前は店内などに入るときは、
ほとんどの人が必ず手指の消毒をしてましたが、
今は素通りの人のほうが多いです。
道に落ちていた赤い実。
南天?千両?万両?
調べると、これは万両かな。
そういや実家の庭にもあった。
父が育てていた。
あれは、南天?千両?万両?
覚えてない。
雪が降ると赤い実に白い雪が積もってきれいでした。
母の作るお好み焼きには、こんにゃくと竹輪が入っていた。
竹輪が入ると少し甘くなる。
キャベツは千切り。
山芋は入ってなくて、ふわふわでもなくて、ペラペラで、
でも美味しかった。
確かウスターソースで食べてたな。
ごはんと
今ではやらないけど。
昨年の文化の日のイベントで花火が上がりました。
ホームの窓から見えたので感動です。
ひゅぅ~
そういや長いこと生花火を見てなかったな。
冬の花火って凛として美しいです。
年明け早々、大変な事が起こりましたね。
自分が生きて毎日を送れることに感謝して、
今年も1年間過ごしたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
写真はメトロの駅構内に貼ってあったものです。
母の嫁入り道具のひとつ、タンスです。年期が入った色してる。
子供の頃は私の下着や靴下なども引き出しに入っていた。
家族皆で使うタンスだった。
右上のガラスの扉にはタオルやハンカチが入ってたっけ。
側面には確か駅の時刻表が貼ってあった。
単線で本数も少ない田舎の駅だけど、
電車で出かけるのはワクワクして好きだった。
これは以前にもアップした、鏡台。
母は化粧をしない人だったので、
何年も同じ化粧品を使っていた。
私はその化粧品の香料が好きだったなあ。
そしてたまに化粧して余所行きの顔になる母が好きだった。
これは近所の親戚の家の屋上で従妹達と撮った写真。
私は抱っこされてる女の子。右端は兄。
これは小学生時代の兄の写真。
なんかすごくかっこよく見えて、私のお気に入りの写真だった。
なんだかなあ・・。
みんな、みんな、歳とって、変わっていって・・。
この頃は今の自分なんて想像もできないよね。
(2022年1月)
子供の頃は母の作るカレーが好きではありませんでした。
確か、カレー粉とか、小麦粉を使ってたと思う。
小学校から帰って来た時に、
母が台所の勝手口で玉ねぎをむいていたら、
「あぁ・・今日はカレーかぁ・・・」
と、がっかりしたものです。
でも主人と付き合っていた頃、
主人はカレーが好きだと言って、
カレー専門店に連れて行ってくれました。
私は正直「ええ~カレ~
」と思いましたが、
付き合い始めたころなので何も言えずについて行きました。
で、カウンターに座って目の前に出てきたのは、
濃い茶色のカレー!!
え?なにこれ?茶色?
しかも平たい皿に入ってるよ!
福神漬けやらっきょうも自由に食べられるよ!
びっくりでした。
母のカレーは黄色くてサラサラのカレーだったし、
当時は深さのある器に入ってました。
TVでしか見たことのないとろとろの茶色いカレーに驚き。
食べても美味しくて、いっぺんにカレーが好きになりました。
お店の場所(なんば)も名前も覚えてないけど、
まだあるのかな。懐かしいカレーの思い出でした。
ちなみに父も兄も母の作るカレーが大好きでしたよ