美味しいお散歩。

すべては必要でうまくいっている。
だから大丈夫。
「命」は「いのち」。

No.54『大阪を育んだ母なる川・淀川を知る』7水道記念館(3/3)ゴール!。

2012年06月05日 05時08分34秒 | 大阪あそ歩

5 柴島浄水場
「明治10年、明治12年、明治19年と大流行したコレラによって、大阪府内は死者・患者が溢れました。
・・・・・そのため市民から水道敷設が希望され、桜の宮に水源地を設置し、大阪城天守閣東側の貯水池から自然流下方式で
水を供給することが明治24年に決まり、その4年後に桜の宮水源地が完成しました。・・・・・」

6 上水道
「明治10年のコレラ流行後、大阪府は飲料水汲み上げ場所を指定するなど、川水飲用の危険性を訴えてきましたが、
上水道は技術上、財政上の問題から敷設されるに至りませんでした。・・・・・平成12年に柴島・庭窪・豊野の
3浄水場すべてオゾン処理2回と粒状活性炭処理を行う光度浄水処理が導入されたことで、
より安全で美味しい水が大阪市内全域に届けられています。」









 ゴールは水道記念館 


7 水道記念館
「大正3年から昭和61年まで主力ポンプ場として使われた旧第一配水ポンプ場を活用し、
通水100周年を記念した平成7年に水道記念館がオープンしました。
・・・・・赤レンガ、御影石を用いた建物は宗兵蔵の設計で、国の有形文化財として登録されています。」


あら。残念


市における施策・事業の見直しの一環として、費用対効果などの観点から精査を行うため一時休館。





水道記念館へ行く途中に、こじんまりした、でも桜がとてもきれいな場所があった。



右側は駐車場、左は浄水場










「この辺は明治初頭に西成郡浜村の一部であったが、西中島村大字浜の一部になり、
1925年に大阪市に編入され東淀川区浜町となった。・・・・・」



桜の季節のまち歩きは、ものすご~く楽しい


紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba   15300歩 9.2km

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No.54『大阪を育んだ母なる川・淀川を知る』4柴島晒~(2/3)。

2012年06月05日 05時06分04秒 | 大阪あそ歩

淀川の堤防に出る。



4 柴島晒
「・・・・・布木綿を淀川の流れでそそぎ、広大な堤の芝で真っ白な晒を並べることができる立地条件にも恵まれ、
晒業は先祖代々柴島の地で受け継がれてきました。・・・・・ 柴島に水源地を建設する事が決まった明治40年に
晒業者から出された水源地設置反対の陳情書によれば、300年以上の歴史と当時の従業者数百名が生計の道を
失うことの損害が切実に訴えられています。大阪市内への清浄な上水道供給の裏には晒業者の悲劇がありました。」








淀川大堰


阪急千里線


ん?この途切れている橋?は?



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Mameshiba  

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No.54『大阪を育んだ母なる川・淀川を知る』1法華寺~(1/3)。

2012年06月05日 05時02分27秒 | 大阪あそ歩

柴島浄水場の桜の通り抜けに行った時に、大阪あそ歩のコースを歩いてきた


大阪あそ歩 No.54 柴島

大阪を育んだ「母なる川・淀川」を知る
~柴島晒から柴島浄水場、水道記念館まで~

「柴島浄水場の設置と淀川改修工事により、柴島のまちは大きな変貌を遂げました。
300年以上の歴史を持っていた晒業が衰退する一方で、土地は浄水場の敷地となり、
また川床となりました。大阪市民にとっての母なる川・淀川nと柴島の深い関わりについて考えるまち歩きです。」


阪急 柴島駅で下車。
「昔、茎の渡しという渡し場があり、「茎島(くきじま)」から転じたという説、櫟が多く茂り、櫟を柴薪として伐採したので、
「櫟島(くぬぎじま)」が転じたという説、柴島神社の創始による説などが「柴島の地名由来として伝えられています。」」



 スタートは法華寺 

1 法華寺
「・・・・明治42年に柴島浄水場が設置される際に移転・縮小しました。法華寺境内には、
国分尼寺の塔心礎と言われる円形の礎石3基が保存されています。」




国分尼寺の塔心礎と言われる円形の礎石3基




きれいな木蓮が咲いていた。







2 柴島城址
「・・・・・柴島城の廃城時期は不詳ですが、お城があったとされる場所に、本丸、城道という地名が残っていました。」


↑↓この場所が見つからず、住宅街をウロウロ



3 柴島神社
「貞永元年の大洪水時、村人たちは地所より約3m高い仲哀天皇を祀る森に避難しました。
そこへ柴の束に乗った小祠が漂着し、その後村人たちが産土神として祀り始めたのが神社の起源とされています。・・・・・」




柴島晒ゆかりの地
「江戸時代、柴島一帯では、淀川の水を利用して木綿を晒し、柴島晒は当地の名産となっていた。
淀川堤防沿いに布を晒した風景が雪が降り積もったようで、晒堤といわれた名所となった。」


道にはタイルが埋め込まれていてきれい。



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Mameshiba  

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No.129『朝鮮通信使も通った唐人澪』9三泉共同市場~13泉尾商店街(ゴール!)

2012年02月14日 03時16分25秒 | 大阪あそ歩

三泉共同市場を目指して歩いていく途中にある「砲弾と防火用水を探してみよう」
って書いてあったけど、どこにあるかわからず。これはちゃうよねえ(^^ゞ
 

路地から京セラドームが見える。



9 三泉共同市場
「明治44年、西大阪最初の問屋市場として設立。・・・
現在は三泉商店街振興組合となり、地域の生活拠点となっています。」




第二大井湯
新しい感じのする煙突が素敵なので写真に撮っておいたら、TVの特集でこのお風呂屋さんが取り上げられていた。
古くからある銭湯らしい。まあ銭湯はたいがい古くからあるけどね(^^ゞ
 





懐かしい蝿取り紙




主人が大昔、ここのおまわりさんに違法駐車を指摘されたそうだ。



10 大阪みどりの百選 「泉光園」 (残念石・豊田織機跡)
「・・・の境内地にあります。緑が美しい約6000坪もの敷地を誇る広大な庭園です。
表門に大坂城の残念石が置かれています。ここはかつては豊田自動機織(現トヨタ)の工場がありました。」


 


11 泉尾新田
「元禄15年に開墾され、開発者の北村六衛門の出身地である和泉の踞尾(つくお)に因んで
「泉尾」と名づけられました。・・・・」



12 万福寺
「万治2年、僧・了安によって三軒家村の専称寺の北隣に創建されました。
しかし寛文10年に津波によって流出。明治44年に三軒家西2丁目に移りますが、
昭和4年の市電敷設のため現在地に移転しました。・・・・・」



 ゴールは 泉尾商店街 


13 泉尾商店街
「約100店舗からなります。「おおきに!ありがとう!また来てや!」という声があちこちで聞かれ、
昔の面影が残る、どこか懐かしい商店街です。庶民価格につき、買いすぎ注意です。」
 

あ~疲れた~バスに乗って帰ろ(居酒屋へ直行


お疲れ様でした~ おもしろかった~ 大正区は奥が深いな~

やっと記事にしてアップできた。良かった。
なかなかアップできず心にずっと引っかかっていたのでホッとした


紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba   20410歩!! 12.6Km (2コース合わせて)

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No.129『朝鮮通信使も通った唐人澪』6尻無川南岸直通路開通記念の碑~8尻無川。

2012年02月14日 03時13分48秒 | 大阪あそ歩

8 尻無川 




きれいやな~



6 尻無川南岸直通路開通記念の碑
「北恩加島までの産業道路で、泉尾で貸家事務所を営んでいた大井伊助が全額寄付で
完成したことを記した顕彰碑です。・・・・」


これを見つけるの難しかった~


こんなとこに何気なくあるのよ。車が通って危ないし



7 御船蔵跡(岩崎公園)
「幕府の官船等を納める施設で、ここに川御座船」がありました。・・・・
ここで朝鮮通信使は大船を停泊させて川御座船に乗り換え、大坂市中に向かいました。」






いいな~このゴツゴツ感




尻無川の南?側。


尻無川沿いに歩いていると、古い家?を利用したおしゃれなお店が並んでいる。
USJのジョーズのアトラクション付近のような感じ。人気のスポットみたい。



8 尻無川
「江戸時代の尻無川は、いまの大阪ドームから西区江乃子島を流れていました。
朝鮮通信使が利用する公的な水路で「唐人澪」とも呼ばれていました。・・・・」






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Mameshiba  

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No.129『朝鮮通信使も通った唐人澪』1木津川口遠見番所跡~5岩松橋と岩崎運河。

2012年02月13日 05時23分36秒 | 大阪あそ歩

No.27と同じ日に歩いた別のコース。

大阪あそ歩 No.129  大正区

朝鮮通信使も通った唐人澪
~水都遊興の地・尻無川の過去と現在~

「江戸時代、尻無川は商都・大坂の玄関口として発展しました。春は潮干狩り、秋は櫨(はぜ)の紅葉などで賑わい、
「浪花百景」や「摂津名所図絵」にも記されるほど大坂庶民の遊興の地として有名でした。
また秀吉の朝鮮出兵で国交が断絶していた朝鮮との交流が幕府の努力によって再開されると、
尻無川は「唐人澪」と呼ばれ、華やかな国際交流の舞台となり、平和への玄関口ともなりました。」


  スタートは 木津川口遠見番所跡 


1 木津川口遠見番所跡 (前出なので説明は省く)



2 大正橋 (前出なので説明は省く)




3 三川合流の地
「尻無川・木津川・道頓堀川の三川が合流する様子が眺められる珍しい場所です。
大正区・浪速区・西区が交わる地点でもあります。」







4 大地震両川口津波跡
「嘉永7年の大地震で水上なら安心と小船や茶船に乗って遭難する人が数多くいました。
ところが大坂湾に海嘯現象(河口に入る潮波が垂直な壁となって河を逆流する)が発生して
多くの人が波に呑まれ、甚大な被害を及ぼしました。石碑は惨状と教訓を後世に残すべく、
地震・津波時の心得を記しています。」









5 岩松橋と岩崎運河
「豪商・福西岩松が架橋したので岩松橋と名づけられました。
橋下を流れるのは岩松運河で、これは大正9年に開削されました。・・・・」







大阪アドプト・リバー・プログラム
「地域の団体等に河川の一定区間の美化活動を継続的に行っていただくもので、
河川管理者、参加される団体、および地元市町村の三者で、参加団体の美化活動の内容や、
河川管理者、市町村の協力、分担内容などを定めて協定を結ぶものです。」(大阪府HPより)









紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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No.27『近代紡績は三軒家から始まった!』9化粧地蔵~12昭和山(完)。

2012年02月13日 04時36分17秒 | 大阪あそ歩

三軒家水門





9 化粧地蔵
「化粧を施された大阪市内でも珍しいお地蔵さんです。元は川沿いにありました。
このお地蔵さんのおかげで戦災のさいも被害に遭わなかったと地域住民の方は厚く敬っています。・・・・」

扉が閉じられいたので中のお地蔵様のお顔は見えず。




11 落合上渡船場
「・・・木津川では4本の渡船が運航していますが、落合上渡船場はそのうち最も上流にある渡船場で、
大正区千島1丁目と西成区北津守4丁目を結んでいます。岸壁間は約100メートルで、
平成20年度調査では1日平均540人が利用しています。」










10 木津川水門
「木津川にあるアーチ型水門。設計は栗本鉄工所で、竣工は昭和45年です。
台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮をせき止める働きを持っています。
一般的な水門で使われるローラーゲートでは通行不可の大きさの船舶を通すためにアーチ型が採用されました。・・・」

船に乗って向こう岸に渡ってみよう。写真ではわかりづらいが、この水門めっちゃでっかいヨ!





帰りの船の時間まで10分。その辺を忙しく見てまわる。二宮尊徳の像が。


水門の側面?






帰りの船にはワンちゃんも乗ってたよ



 ゴールは 昭和山 

12 昭和山
(前出なので説明は省きます)

No.129とあわせての最終ゴールだっので、もうクタクタ




紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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No.27『近代紡績は三軒家から始まった!』5松筒自動車学校跡~8下八坂神社。

2012年02月13日 04時33分30秒 | 大阪あそ歩

5 松筒自動車学校跡
「大正8年、当時24歳だった松本由太郎氏と友人の筒井氏が、やがて誰もが自動車を自分で運転する時代が来ると、
松筒自動車学校の前身「松筒自動車同好会」を開設。・・・・・2000年に閉校してしまいました。」

跡地にはマンションが?



6 難波島パネル・百済橋跡
「かつてこのあたりは難波島と呼ばれ、江戸初期の大坂の名所案内「芦分船」には
「難波島は難波につづきたる所也。昔日難波の住人ひらきし所なれば此島の名とするにや」とあり・・・・
大正中期には造船所15社が集中して、現在も工場群となっています。
百済橋は難波島西の三軒家川にあったものですが、川の一部が埋め立てられたさいに廃橋になりました。」







三軒家公園



7 近代紡績工業発祥の地碑
「・・・・我が国初の近代紡績会社が三軒家村で操業を開始、明治19年には夜業のために発電機を購入して
工場全体が不夜城のように浮かびあがり、全国各地から電灯の見学者が殺到するほどでした。
・・・・・戦争激化とともに軍需工場に転換させられて、昭和20年3月の大空襲で消失しました。」







マツリカ





8 下八坂神社
「寛永2年に三軒家地域の開拓者らが建立しました。大正区で最も早く、この地の守護神として
素戔鳴尊を勧請したと伝えれています。・・・」





なんだかわからないけど、石の動物がいる。







「おしゃれな一戸建てが並んでいる」とマップ集にあった。
個人のお宅なのであまり近くで撮影できないけど、ほんとにかわいい住宅が並んでいた。







栗本鉄工所発祥の地
明治42年から平成14年までここにあった工場で、水道やガスの鋳鉄管を製造していたという。




紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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No.27『近代紡績は三軒家から始まった!』3勘助島の渡し碑~4上八坂神社。

2012年02月12日 07時20分13秒 | 大阪あそ歩

3 勘助島の渡し碑  
「大浪橋のたもとにあります。正面に「わたし 勘助島」。右面に「すくちかみち なんば 今宮天王寺
住吉 あミ田池(阿弥陀池のこと) 道頓堀」といった地名が刻まれています。
かつての渡し船の場所で、勘助島と難波島を繋いでいました。」


大浪橋





4 上八神社(中村(木津)勘助之碑)
「・・・寛永18年の大飢饉では、役人に蔵を開くよう訴えますが埒があかず、妻子と別れて
困窮した農民と一緒に蔵破りを決行。自らの命をなげうって人々を救い、自首しました。
一時は死罪が決まりましたが、庶民の助命嘆願が絶えず勘助島に島流しに。
その後も三軒家上ノ町に上八坂神社を勧請したり、田地を寄進したりと、地域に多大な功績を残しました。」

ここの宮司さん?は京都から来られたそうで、大正はおもしろいところだとおっしゃっていた。


 

中村勘助の碑


八垂銀杏樹崇拝所
 


宮司さんによると、樹齢三百年以上の木が倒れたので、その木をまな板にして配ったりしたが、
それでもたくさんの木が残ったので、こうような絵を描いて頂き飾ってあるとか。









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Mameshiba  

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No.27『近代紡績は三軒家から始まった!』 1大正駅~2大正橋。

2012年02月12日 07時19分26秒 | 大阪あそ歩

(昨年の春のお話(^^ゞ)

今回は、歩くルートがとっても近寄っているもの(NO.27とNo.129)があるので、
いっぺんに2コース回ってみようということになった。無謀か!?

地図にするとこーんな感じ。方向音痴、地図読めない女の私は、
プリントしてはつなぎ合わせて地図を完成させるのに何時間もかかった



大阪あそ歩 27  三軒家  

近代紡績は三軒家から始まった!

~中村勘助の島から化粧地蔵、木津川水門まで~

「「摂津名所図会」に「千石・二千石の大船、水上に町小路を作りたる如く舳先には船の名、
家々の紋付けて其国をしらせ、風威の順不同・潮時の満干を考えて出帆あり着船あり」と記された三軒家。
木津川口遠見番所や大正橋、松筒自動車学校跡など、数多くのドラマが眠っています。
そんな三軒家界隈を歩いてみましょう。」


JR大正駅


木津川に架かる鉄橋


大浪橋


このごつごつした感じ好き






大正駅を出て大正通りを大正橋のほうへ歩くと大正橋公園がある。



 スタートは 木津川口遠見番所跡 

1 木津川口遠見番所跡
「当地はかつて姫島と呼ばれていましたが、義民として名高い中村(木津)勘助が、
慶長15年に豊臣家のために軍船係船所の建設や船着場の整備等を行い、
その功により勘助島と名づけられました。その後、宝永5年に幕府が木津川遠見番所を
当地に設けると諸国の船で賑わって木津川は大阪経済を支える大動脈となりました。」


2 大正橋
「大正4年に市電開通とともに架橋。当時は日本最長のアーチ橋で区名の由来にもなりました。
昭和49年に新橋が完成。下流側の高欄にベートーベンの交響曲9番「歓喜の歌」の楽譜がデザインされています。」






ピアノの鍵盤


メトロノーム


音符




大正橋から見る鉄橋


京セラドーム



紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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13『淀川の風に吹かれて』ひと休み~豊里大橋(おまけ)(完!)。

2011年08月06日 03時16分10秒 | 大阪あそ歩

(6月のお話(^^ゞ)  

ゴール地点から自宅まで歩いて帰ろう。でもこの時期すでに炎天下あづぅ~
川を渡る風は吹いているが、かなり暑い

あ!こんなところにコーナンがある!!知らんかった~。
ちょうど良かった、一休みして簾を買って帰ろう。


涼もうと思ったが、たぶん節電でエアコンの設定温度を高くしてあるようで、
店内はなまぬるい空気で、汗が引かなかった。仕方ないね。


私のアイスコーヒー


主人のソフトクリーム


コーナンのすぐそばに、なにやら古い工場跡が。う~ん、なんだろう。気になる。


堤防を歩いていると「大日大聖不動明王」が。由緒あるものかと思ったら、
「国有地に工作物を設置することは禁止されています」という看板がそばに立っていたことがあるとか。


反対側の平太の渡し跡碑


ここのコートはハードコート。腰に悪い~。



豊里大橋まで戻ってきた。写真は簾を持つ主人








マンションの隙間から入道雲がモクモク・・・・







お疲れ様でした~

Mameshiba   13460歩 6.8Km

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13『淀川の風に吹かれて』8イタセンパラ発見の地~9赤川鉄橋(ゴール!)。

2011年08月06日 03時14分43秒 | 大阪あそ歩

(6月のお話(^^ゞ) 

8 イタセンパラ発見の地
「別名ビワタナゴと呼ばれる日本固有種の淡水魚で、板のように平たく、色鮮やかな腹部を持つことから、
イタセンパラ(板鮮腹)と呼ばれています。・・・・・・昭和46年に淀川では絶滅したと思われていたイタセンパラを
市岡高校の生物部がワンドで発見し、3年後に天然記念物指定されました
。」

(場所探さずパス


 ゴールは赤川鉄橋 

9 赤川鉄橋
「正式には城東貨物線淀川橋梁と言いますが、地元では赤川鉄橋と呼ばれています。
貨物列車の走る鉄道橋の真横を木橋の人道橋が通り、淀川堤防を散歩する人、自転車に大変人気のスポットです。・・・・・」


いつも見てたけど、渡るのは初めて。ワクワク~






欄干は木でできているが・・・


床は鉄板なんや。今も木でできていると思ってた。


川風が渡り、眺めもよく、気持ちいい~




到着~


中心街が見える。






いつもとは反対側から見る赤川鉄橋。なんか変な感じ(^^ゞ


地元の散策なので、楽しかった~。自宅からずっと歩いて散歩できたし
よく通る場所でも、ひとつひとつたどって行くと、また違った景色に見えてきて楽しい。


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Mameshiba  

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13『淀川の風に吹かれて』6千人塚~7赤川廃寺、日吉神社。

2011年08月06日 03時13分15秒 | 大阪あそ歩

  6 千人塚
「昭和20年6月7日の大阪大空襲は、甚大な被害をもたらしました。戦死者数万人のうち、
身元がわからない千数百人の遺体をこの辺りに集め、疎開家屋の木材を利用して火葬しました。
当時、黒煙が天に昇り、それは三日三晩に及んだとされます。」



こういうオブジェを見ると、蹴飛ばしたくなるんだよね。転がらないかと。
転がるわけないんだけど、なんかゴロゴロっとしたい衝動に駆られる。(製作者さんごめんなさい)


ここの地面には鳥の絵が描かれている!


今まで何気なく自転車で上を通っていたので嬉しい発見





ワンド
「淀川改築工事で用いられた水制は、岸から川に向かって垂直に幾つも設置されました。
川が自然に運ぶ土砂はこれらの水制にひっかかることで次第に溜まり、土砂の上に木や草が生え始め、
時を経て現在数多く見られるワンドの形になりました。ワンドは水の流れがほとんどなく、
魚の棲みやすい環境が作られています。」



7 赤川廃寺、日吉神社
「淀川大改修によって川床となった場所に、1225~1230年頃、赤川寺(せきさんじ・別名大金剛院)と
呼ばれる寺院があったと推定されています。赤川寺の境内には山王社または山王権現と呼ばれた神社があり、
日吉大社の分霊を祭神としていました。赤川寺は大阪夏の陣の戦火によって炎上して廃寺となりましたが、
神社は類焼しませんでした。・・・・・」





菅原城北大橋


遠くに赤川鉄橋が見えてきた。




紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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13『淀川の風に吹かれて』4城北公園・菖蒲園3

2011年08月05日 04時50分29秒 | 大阪あそ歩

(6月のお話(^^ゞ)

青い紫陽花が涼しげに咲いていた。 










半化粧




モォ~と牛蛙が鳴いていた。


おたまじゃくしがいっぱい


こら、でっかい蛙になりそう



え~菖蒲の花って、ボトッ!ってひとかたまりで落ちるものなの!?



紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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13『淀川の風に吹かれて』4城北公園・菖蒲園2。

2011年08月05日 04時48分11秒 | 大阪あそ歩

(6月のお話(^^ゞ)


 やた烏?


秋の大空?


紅椿


真珠の・・・


村祭


伊勢千歳


晩加茂万里


水天


渦潮?


山里


東鑑






今年は私の一番好きな「出羽の里」や人気の「小町娘」を見ることができず残念。また来年ネ
でも「東鑑」は涼しげで好き


紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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