住まいの大阪六景 (5)~(6)
5 城北バス住宅「第二次世界大戦の空襲で、焼け出された人々の救済のために、
建設された仮設住宅のひとつに、廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があります。
26台のバスをメガネ形に配したバス住宅がつくられました。
家賃が安く、隣近所のつながりも深かったことから住み続ける人も多く、
城北バス住宅は昭和26年まで存続しました。」
「終戦後、大阪ではカンテキ(七厘)をいこすお母さんの姿があちこちで見られました。
物を煮るのに価が七厘ほどの炭でまかなえたことから名づけられたとか。
ちなみにバスも木炭で動いていました。」
昔はうちにも七厘がありました。朝起きると母が七厘の火を熾していて、
あのにおい、思い出されます。でも母は何を作ってたのかなあ。
6 古市中団地「昭和28年(1953年)から建設がはじまった城東区の古市中団地は、
総合的な手法による計画的な大阪市営住宅団地です。
ここには、水洗トイレやバルコニーが備え付けられるなど、新しいライフスタイルの住宅として注目を浴びました。」
台所は狭くて冷蔵庫を置く場所がなく・・・
和室の畳の上に置いたそうです。
洗濯機もベランダです。
生活道具の変遷
わ!これ実家で使っているこたつと同じ
4月下旬から8月末にかけては季節のしつらいとして、夏祭りの飾り付けがされます。
「大坂の夏は祭りの季節。天神祭りの宵宮風景を再現します。
大通りには高張り提灯が並び、各町家には家紋を染め抜いた幔幕が掛けられます。
御座船の山車、祭囃子の音、夜空にあがる花火など・・・
わくわくする祭りの日を体感できます。」(~9月5日)
いや~盛りだくさんで、すんごい楽しかったです夏祭りの飾りつけもいつか見に行ってみたいです
これまでの記事における「」内の説明は、パンフレットなどに書かれていたものです。
大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
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捨ててませんが、さすがに七輪は使っておらず、場所とってます。
その頃のわが家は神戸の4軒長屋!
6畳4畳半2畳に縁側&五右衛門風呂の暮らしです
あの頃の夏は涼しかったなあボー( ▽ )・・・
>実家の納屋から七輪の炭が結構な量出てきました。
その炭は何からできたものですか。
うちが昔使っていたのは練炭でした。
練炭と木炭とどう違うんでしょう。
「練炭」石炭から作られる固体燃料
「木炭」木材などの植物組織を半ば密閉した状態で加熱し、炭化させて得られた炭
書きたくないけど(笑)、屋内(土間)で七輪で練炭を使ってたけど危険なイメージはなかったような気が。
それとも当時は危険な事が知られてなかったんでしょうか。
>捨ててませんが、さすがに七輪は使っておらず、場所とってます。
木炭て、火鉢に使えるんですか。
あ~そういえば昔は火鉢がありましたね~。
部屋はたいしてあったまらないけど、手は温まる。
とほさんは、またいでたんでしょうねえ
>まさしくこの暮らしをしておりました
そうなんですか~懐かしいですね。隣近所とも仲が良くて皆が家族みたいな。
>その頃のわが家は神戸の4軒長屋!
私の現在の家は5軒長屋。五右衛門風呂ではないですが(^^ゞ
子供の頃は親戚の家のお風呂がそうで、ヤケドしそうで恐怖でした。
昔は「もらい湯」をしましたよね~。田舎だけ?
>あの頃の夏は涼しかったなあボー( ▽ )・・・
暑いことは暑かったんでしょうけど、今みたいなヒートアイランドじゃなかったですよね。
エアコンがなかったし、アスファルトもなかった。
奈良は夕立が多いので、雨が降るといっぺんに気温が下がり心地良かったです。
蚊も多かったけど