地震発生時わたしは金田小学校の校庭の近くにいました。
車から納品する紙をおろそうとした時、ぐらっときてすぐ地震だとわかりました。
校舎はガタガタ揺れ、目の前の改善センターの大きなガラスはプラ板のように
撓んでいました。子供たちの悲鳴が聞こえました。
すぐに校舎から校庭に避難できた子どもたち、なかなか弱くならないので
タイミングを見計らってやっと出てきた子どもたち。先生方の判断は見事でした。
揺れがおさまって、お店に一人でいる母親、仙台に会議にいっている会長
家内、小学校・保育所にいている子供たちのことが心配になりました。
まずお店にむかいました。運転中今度こそお店が崩壊しダメかなと思いました。
ものすごいスピードで帰りました。途中信号機が消えていて普通でないことがわかりました。
お店に着いて母の顔を見、安心しました。あの状況下で3台のストーブをOFFにしたそうです。
店舗内の什器は岩手宮城内陸地震の時より酷い状態でした。
しかし一度経験しているのでなんとかなると自分に言い聞かせました。
ラジオを探して出してきてつけました。
「津波にご注意ください」と繰り返し話していました。
10mの津波・・・・耳を疑いました。
落ち着いてから、小学生の息子を迎えに行きました。
校庭のど真中から駐輪場に移動して、学年ごとに毛布でくるまっていました。
担任に声を掛けすぐ車に乗せました。怖くて泣きたかったけど我慢していたと言っていました。
すぐ近くは保育所でしたが、今2人を連れて帰っても家、お店がめちゃめちゃでかえって危ないので少し経ってから家内が迎えに行きました。
商工会の理事会のため仙台に行っていた父とは全然連絡がつきませんでした。
雪が降り始め、今日は帰って来れないなと思いました。
数時間後お店に戻ると父が帰宅していました。
たまたま栗原南部の会長さんが車で行ってたので乗せて来てもらったそうです。
家族全員の安否が確認でき安心しました。
地震発生から10日目。今日は石巻で10日ぶりに生存者が発見されたという嬉しい飛び込んできました。奇跡としかいいようがない。