頑張っても報われない人、はどうすればよいのか。
そもそもその表現自体に文句をつける人はつけそうではありますが、しかし、世の中には頑張っても報われない人、というのは確かにいると私は思っています。
私の友人の一人も自分はそうであると主張するうちの一人です。
実際どうなのかは分からない面もありますが彼をとりまく状況と彼の持つ特性などは明らかに恵まれているとは言えない面も多々あり、確かにそのように主張してしまいたくなる気持ちは分かります。
詳しく書くわけにはいきませんが、過酷な状況にあるのは確かです。
場合によっては生活保護になるかならないか、という状況にもあるところです。
そういう彼は、どうすればいいのか、どうすればよかったのか。
彼なりに頑張ってきたのは間違いないことだと思います。
常に全力で頑張ってきたと言っています。
私はその言葉が嘘であると思いません。
今日、彼は落ち込んでしまう出来事があり、その勢いもあってか私にとって嫌なことを言い、私は根性論で言い返してしまいました。
彼は頑張っても報われない人は居て、そういう人は頑張ることで自分を追い込んで調子を崩し、結局逆効果になると主張しました。
それに対し、私は結局頑張って報われないのが事実だとしても、報われなくてもやるしかないだろうと根性論のような形で言い返しました。
でも、すでに書いたように彼なりに頑張ってきたのは間違いないんですよね…
それでも、今の状況となってしまった。それは、努力が足りなかったのか?というと、そういう訳ではない。
いや、本当は足りてない面もあったのかもしれない。
でも、それは他の人が判断できることではない…。
結局、どうなのか。
色々自問した後、彼には感情的になってしまったことを詫びました。
ここで、彼の例からは少し離れますが、確かに世の中には頑張ってもどうしようもないような状況にある人は居るのは間違いない気がします。
一般的な、広く共有されている価値観からは到底想像できないような暮らしを送っている人が居るのは確かです。
そういう人たちが頑張っていないのか?
というと、それは違う。
どうしようもない状況にある人は全て自己責任なのか…?
本人の努力が足りないからなのか?
実際不明であり、ある程度自己責任、努力が足りない面もあるかもしれないが、そうではない面もあるのは確か。
では、そういう人たちはどうすればよいのか、そういう人たちを生まないために社会はどうすればよいのか。
ここで、具体的な方策の提言・他の人の考えの批判などしたい訳ではありません。
頑張れない人も、頑張っても報われないと感じてしまう人もいるのは間違いない…大切なのはそういう人たちも居ることを想像できることではないかな、と思います。
頑張れば報われるという価値観を持つことは良いことですが、そう思えない人もいるのであり、そう思ってしまう人たちを自分と切り離して考えないことが大事だと私は思っています。
もっと言えば、自分の価値観を絶対視しないこととも言え、人の価値観を尊重することでもあります。
頑張れば報われるという価値観を持っている人は間違いなく頑張ってきたのでしょうが、その人たちであっても、状況が違ったりすれば結果が出ないこともあるかもしれない。
頑張っても上手くいかなかったときに、自分は絶対に愚痴も何も言わずに前に進んでいける、という保証がある人は居るのでしょうか。
いや、居るかもしれません。
居ないように感じるのは私の中に「頑張っても報われないことがある」という価値観に共鳴する何かがあるが故かもしれない。
やはり、私の中にも別の価値観を受容しない狭量さがあります。
結局、人は他人を理解しません。
でも、理解しようとすることは出来る。
自分とは異なる価値観に対して、理解しようと努めること。そういう姿勢があれば、お互いの価値観を不必要に否定せずに生きることが出来るはず…と私は考えます。
すなわち、頑張っても報われないと思う人の価値観や人生を否定せずに、理解しようとしながら生きていける、かもしれない。
さて…。
一般論は述べましたが、例の友人に対して、私はどう接すればよいのやら。
友人として接するしかなく、それ以上のことは出来ないですが…。
結局どんな状況にあってもどうにか出来るのは本人だけ、というのもそうだと思うんですよね…
どうにか出来たからすべて自分の実力とも言えないと思いますが、どうにかしたいなら人のせいとか状況のせいにしていてはね…。
色々問題を抱えている彼ですが、彼によって救われたことも多々あり、大切な友人です。
縁を切ればよいという考えももっともとはいえ、私はそうは考えません。
でも、頑張って状況を打破してもらいたい。
これは私の我がままだと言われるかもしれませんが、頑張っても報われないという価値観に、彼には囚われて欲しくありません。今まで頑張ってきたのなら、もう少し、あと少し頑張ることを継続してくれないだろうか。いや、それは酷かな、とも感じる。しかし、私はこのままで彼に終わってほしくはないんだ…。
単なる願いに過ぎませんが…。
最後は彼が決め、彼が決断して人生の舵取りをしていってほしいと切に願います。
そしてまた、私も自らの人生を自分の手で切り開いていこう。
こう思ったとある日曜日でした。
読んで下さり、ありがとうございました。