芥川龍之介「桃太郎」全文
文章自体は上記のリンクを見ていただければと思うが、相も変わらず、この「桃太郎」は通常のおとぎ話のものとは異なる経過を辿る。いつだったか忘れたが、僕もこれを初めて読んだ時には笑いながら読んでしまった。特に、猿が打出の小槌からさらにたくさんの打出の小槌を振り出せばよい、と言い出すくだりとか。
が、しかしながら「桃太郎」については(僕のような性格がひねくれていて普通の読みをやりたがらない人間であろうとも)「猿蟹合戦」でやったような穿った読み方はしにくいような気がする(一風変わった読みができる方は教えて下さい)。
であるので、今回は紹介程度にしておきたいと思う。
というのも、読んでみた方にはすぐわかると思うのだが、このお話は全体的なテーマが非常に分かり易いのだ。
この「桃太郎」の中で、「鬼」は全く悪いことはしていない。むしろ、横暴なのは桃太郎の側である。桃太郎は、さしたる大義名分もなく、身勝手な理由から鬼ヶ島征伐を思いつき、実行したのだから。
芥川龍之介はこのような話を書くことで、当時の日本の帝国主義を批判したのだ(芥川は当時、いわゆる左翼運動に傾倒していた)。まあ、そもそも日本が一部から帝国主義だとも目される行動に出るきっかけとなったのは日本に開国を迫った欧米の帝国主義であるのであって、日本は生き残るために国家の存亡をかけてそのような行動に出ざるを得なかった、という背景があるにはあるのだが。
まあ、それはともかく、芥川龍之介は帝国主義を批判している。
確かにこの桃太郎のような国はいまでも存在している。
そう、あの大国、アメリカである。
ご存知の通り、かつてアメリカは大量殺戮兵器がイラクに存在するとしそれを無理やり大義名分として、イラクに戦争を仕掛けた。しかし、結局イラクには大量殺戮兵器など存在しなかったのだ。ここで、アメリカは「桃太郎」の如く横暴である。そして、これと同様のことをアメリカは過去に何度も犯している。(戦争に勝てる)強い者が正義だという考え方や、グローバリズムという名の価値観の押し付け(いわゆるアメリカニズム)は、アメリカという国家の特徴であり、これは今も昔も変わっていない。
因みに、「桃太郎」のようなことは身近な人間関係についてもいえる。
どこにでもいるものなのだ、普段あまり接することのないよく知らない人間のことを勝手に「鬼」であるかのようにみなして攻撃し、(偏見から)相手が変な人間だと周りに思われていることからそれに一切の良心の呵責すら覚えず、むしろ溜飲を下げて喜んでいるような人は…
ある程度短くまとめようとしたが、やっぱり長くなってしまった。
読んで下さった方、ありがとうございます。
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