今回の記事では北方謙三の『破軍の星』を紹介します。
本書は『神皇正統記』で有名な北畠親房の息子、北畠顕家の生涯を描いた傑作です。
北畠親房は日本史を勉強したことのある人なら知っていると思いますが、北畠顕家については知らない人も居るかもしれません。
顕家は16歳の若さで陸奥守として任ぜられ、圧倒的な成果を上げた公家・武将です。
彼は文武両道と言って良く、戦においても見事な戦果を上げますが、最後は足利尊氏の差し向けた合計13万の軍勢に1万の軍勢で立ち向かい、21歳でその生涯を終えます。
そのような顕家の生涯をハードボイルド作家・北方謙三が力強い筆致で描いたのが本作になります。
『破軍の星』は北方謙三が描くことの多い、所謂「滅びの美学」とも言えるものが分かりやすい形で描かれています。
そもそも、本作のタイトル元になっている「破軍星」(読み:はぐんじょう・はぐんせい)とは、北斗七星の七番目の星のことです。
陰陽道においてはこの星の指す方角は凶として忌み嫌われていました。
三国志時代の蜀の軍師・諸葛孔明などは、この方角に向かって戦えば必ず負け、この方角を背にして戦えば勝利すると説いているほど、北斗の中で最も重視された星でした。
しかし、本作において北畠顕家は最後はこの「破軍星」の方角を認識しておきながら、それに向かって兵を動かすこととなります。
それは、自らの運命が戦に敗北することであることを知りながら、それに向かって駆けたということ。
「星が多いな、冬の空は」
顕家が言うと、顕信は空を仰いだ。北斗七星が見える。その第七星を、破軍星と言った。その目指す方向は不吉だというのである。幼いころ、親房に教えられたことだった。
親房がなぜ、そういうことを顕家に教えたかはわからない。占術の類いは信じないはずだ。
破軍星は西を、京を指していた。
おのが賭けたものを、そのようなもので測るのか。顕家は呟いた。
「なんでございます?」
「いや、晴れていてよかった、と思っただけだ。明日は戦になろう。雪の戦は、原野が赤く染まりすぎて、むごいものだ」
「新田義貞は、やはり雪を怕がっているのでしょうか?」
「父上が、そう申されたか?」
「はい、雪の山越えを避けたがっているのであろうと。兄上の上洛に備えて、北陸の足利軍は半分以下に減りましたのに」
「人の心は計り難い、と申したであろう」
「そういうことでございますか」
顕信の言葉に、顕家は声をあげて笑った。酒でも飲みたいところだった。顕信も酒ぐらいは飲めるようになっているだろう。
陣中に酒はなかった。兵糧さえも不足している。
なにも言わず、顕家はもう一度冬の空を仰いだ。西を指した破軍星が、動くことはないような気がした。
引用部分は、顕家が自分の運命を悟ったであろう場面になります。
それでも、彼はその方向へひたすら駆けた。
そのような、自らの行く先を知りながらも懸命に生きる男を描いているのが本作です。
見所はたくさんありますが、気になった方はぜひ読んでみて下さればと思います。
ところで。
途中で少し触れた、「滅びの美学」について少し書きます。
北方謙三は「死にゆく男の生き様」をカッコ良く描くのが得意です。
しかしながら、このカッコ良さは、実は誰しも当てはまるのです。
人は、死ぬことを宿命づけられています。
それを知りながら、誰しも懸命で駆けている。
「生」は「死」を宿命づける。
そして、「死」は「生」を浮かび上がらせる。
死ぬ運命。
その必至の宿命こそが、実は懸命に生きるということに繋がるのではないでしょうか。
そして、実は「死」は終わりでなく、新たな「生」、別の「生」を浮彫にする。
それこそが、「生きる」ということ。
「滅びの美学」は、実はみなが体現しているカッコ良さなのかもしれません。
長くなりましたが、読んで下さりありがとうございました。