月に1回だけ、いろいろな戦国武将&姫を
イメージして、家でご飯&デザートを作ります。
これを”戦国武将カフェ”と呼んでいます。
このシリーズ、1年間続ける予定だったので、
”戦国武将カフェ”今月が最終回となります。
今回は、家族みんなからのリクエストで
オーソドックスなメニューとなりました。
”家康の鯛のから揚げ”と”納豆汁”…。
デザートは、”濃姫いちごパフェ”です。
徳川家康の死因として、「鯛の天ぷらを
食べ過ぎた」から…という説がありますが、
現在では否定されています。大河ドラマの
”どうする家康”にもそのシーンはなかった…。
諸説ありますが、家康の時代の天ぷらは、
今の”から揚げ”に近いものだったそうです。
家康は、鷹狩りの帰りに”鯛のから揚げ”に
すりおろしニンニクを添えて食べたとか…。
「とてもおいしい…!」と、たくさん食べた。
その後、腹痛を起こして寝込んだそうです。
家康の食べた料理を再現するのは難しい…。
今と材料も違うだろうし、作り方もわからない。
どんな味だったかも、記録がありません。
だから、想像して、”創造する”のみですね。
私流にアレンジして作ってみました。
家康が食べた鯛のから揚げは、”榧の油”で
揚げたものだろう…と、言われています。
”榧の油”は現在、お店では見かけません。
じゃぁ、オリーブオイルで代用してみます。
オリーブオイルと、”揚げずにから揚”の素を
使って、”鯛のから揚げ”を作ってみましょう。
材料にまぶして、フライパンで焼くだけです。
お刺身用、鯛の切り身パックを50%OFFで
ゲットしました。これにから揚げ粉をまぶし、
フライパンでオリーブオイル炒めにします。
家康の鯛には、にんにくが添えられたとか…。
今日はみんな、この後お出かけの予定です。
さすがに、にんにくの臭いはマズイかな~。
ニンニクの代わりにゆずの細切りに変更です。
揚げたての鯛のから揚げは、おいしかった。
家康が食べ過ぎたのも、よ~くわかります。
もっとたくさん食べたくなるおいしさでした。
家康は食べ過ぎて体調を崩したのですが、
体調を崩してから食べた料理の記録も…。
歴史学者の磯田道史先生の説によると、
”納豆汁”が記録に残されているそうです。
では…、その”納豆汁”も作ってみましょう。
家康は療養中に、少し調子が回復した時、
”納豆汁”を食べたそうです。
”納豆汁”は、納豆を細かく刻み、少し粒が
残った状態にして、白味噌汁に混ぜました。
1月なので上品なお雑煮風のアレンジです。
八丁味噌で作ると、より”家康らしい”かも…。
デザートは信長の正室、濃姫をイメージ…。
”濃姫の濃姫いちごパフェ”を作りました。
いちごはもちろん、”濃姫いちご”です。
南蛮菓子のカステラと金平糖をプラス。
いつものように、イチゴ入りヨーグルトと
しゃきしゃき食感の”フルグラ”を入れます。
チョコクリームを絞り出し、”小さな金平糖”を
ぱらぱら散らして、デコレーションしました。
”濃姫のイチゴパフェ”の出来上がりです。
では、ここで子供たちからのクイズです。
「信長の奥さん、”濃姫”という名前は、
本当の名前ではありません。
信長がつけた呼び名でした。では…、
どうして”濃姫”と呼んだのでしょうか…?
3つの答えの中から選んで下さい。」
1.信長にはたくさんの奥さんがいました。
奥さん達の中で一番メイクが濃かったのが
濃姫でした。濃姫は、とうさんそっくりで
見た目がマムシ(?)、ブサイクだったので
ちょっとでもキレイに見えるよう、いつも
濃いメイクでした。だから”濃姫”なのです。
2、濃姫は信長と結婚する前は、今の岐阜市に
住んでいました。岐阜は昔、”美濃の国”と
よばれていました。
姫は”美濃の国からきた姫”だったので、
”美濃”の”濃”をとって、
信長は ”濃姫”と呼んだのでした。
3.信長にはたくさんの奥さんがいました。
信長が、「結婚して下さい。」と言った時、
他の奥さんたちは、信長が怖~いので
はっきりと、NOが言えませんでした。
でも、濃姫は、「NOに決まってるがや。」
…と、一度、きっぱりと断ったそうです。
信長のプロポーズに”NO”を言ったのは、
たくさんの奥さんの中で、濃姫だけでした。
信長は面白がって、NO姫と呼びました。
さぁ、クイズの正解はどれでしょうか…?