9歳の私が入院するまでのお話です。
どこにでもいる元気な小学生3年生でした。
朝起きて→登校し授業を受ける→下校して友達と遊ぶ。
そんな 当たり前だと思っていた日常から
2004年1月「当たり前」が消えました。
予兆は 2003年10月頃から
自分から見て右の首に出ていました。
症状は 最初はグリーンピースぐらいの大きさのシコリができ触れると痛いなぁ。
と言う感じであまり気になりませんでした。
→11月中旬
グリーンピースは 枝豆程の大きさになりました。この時には 首を曲げるだけで痛みを感じるようになっていました。
そこから豆(癌細胞)の成長は 極めて早く
アッという間に 空豆サイズを超えて
12月中旬には茹で卵(Lサイズ)を半分に切って貼り付けた ほどになっていました。
そしてこの頃には もう異変は首だけに留まらず両脇のリンパ球もパンパンに腫れてきていました。痛みもありました。
....まだこの時点ではガンの本当の痛みを知りませんでした。
→12月下旬
流石に 近くの病院に行きました。
採血後直ぐに 専門病院(当時の名前)
「埼玉県立岩槻小児医療センター」
※現在は「埼玉県立小児医療センター」
の紹介状を書いてもらい病院へ向かいました。
まだ9歳の私には 緊急事態だと気がつきませんでしたが ただ事ではないのかな?とは思っていました。
病院に到着後 すぐに個室に案内されました。
待っていると....またもや採血です。
採血結果がでると 10名程の医師が病室に入ってきて質問攻めです。
9歳の私には 簡単な質問をし
母には 具体的な質問をしていたのだと思います。
質問が終わると 今日は1日ここに泊まっていってください。(入院ですね)と言われそのまま 初めて病室での夜を過ごしました。
慣れない始めての病院食....味が薄い....。
夜の病院にいると思うと幼い私からしたらトイレすらお化け屋敷感覚でしたね。
でも母もの一緒だったので 心強かったです。
朝になると
「一時退院の手続きをお願いします。」と看護師さんから連絡がありました。
「一時退院?」
と何をいっているか分からなかったのですが退院か!と嬉しくなったのを覚えています。
→12月下旬
帰宅するも痛みが増しているような....
でもその頃は 悪い病気とも知らず 一時退院の時に渡された痛み止
「ロキソニン」を飲み続けていました。
→2004年 1月上旬
どうしたのでしょうか。息をすることすら躊躇いたくなる痛みに襲われました。
そして目も開けていたくない状況です。
とにかく今まで経験したことのない痛み。
この時期になると痛み止の薬が切れる前に飲むようになっていました。
効果が切れかけてくると
水面に滴が垂れ 波紋状に広がるように静かに確実に痛みが広がってきます。
この痛みは経験者にしかわからないと思います。(経験者しないにこしたことはない)
→1月下旬
病院の方から連絡がありました。
病理の結果 悪性なモノと診断されました。
病院にすぐに向かいます。
それでも私は あまり理解していなかったですね。この現状を。
でも今思えば この時の母の気持ちは計り知れないものだったと思います。
病院に到着後 すぐに入院。
こんな形で9歳の私は
入院しました。
※後々 話を聞いたところ 私のリンパ腫は 良い細胞と悪い細胞が融合したような モノだったらしく成長が極めて早い。と聞きました。
以上が入院までの流れでした。
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