マルクス剰余価値論批判序説 その10
8、社会化
現実のゲゼルシャフトは、物象に媒介された、非直接的なゲゼルシャフトである。したがって、その止揚されたものは、直接的なゲゼルシャフトであるということになる。この、直接的なゲゼルシャフトとは、端的にはゲマインシャフトである。しかし、ゲマインシャフトという言葉は、ロマン主義的な、反動的な語感があるので、進歩的表現としてこの語を使うことには、ためらいがある。連合やアソシーションについても、それらの抽象性を批判してきた経過がある。結局、マルクスは、ゲゼルシャフトを止揚したところの人間関係を指す言葉を、見つけていない。と言うよりも、、ゲゼルシャフトを絶対的なものとしたので、それ以外の言葉を使う必要性を感じなかったのだろう。
だから、マルクスは、現実の矛盾に満ちたゲゼルシャフトを止揚したものとして、直接的なゲゼルシャフト、あるいは「社会化」という表現を使ったのである。(15)
マルクスは、現実的なゲゼルシャフトの矛盾を克服するために、ゲゼルシャフトのさらなるゲゼルシャフト化(16)を志向したのである。
ここには、マルクスが若い頃に批判した、ゲマインシャフトの一体性や全体性に対する、敵愾心の強さのほどが見える。しかし、あまりにもゲゼルシャフトに執着する姿勢からは、マルクスのプルジョア的自尊心もまた、滲み出ていると言えよう。
マルクスは、特に、労働過程の分析において、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトとを、混同させている。(17)
それは、物質的生産過程(実在的土台=ゲゼルシャフト)が、労働過程と交換過程とに区別され、労働過程が実際には、社会の外部に存在するのに、社会を絶対化するマルクスは、そのことに気づかないからである。
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