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マルクス剰余価値論批判序説 その11

2021年03月02日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その11

 

(1)『資本論草稿集』第二巻、五〇一頁。

(2)「一階級などに属する諸個人には、それらを止揚することなしには、それらを全体として克服することは不可能だということがわかる。」(『資本論草稿集』第一巻、一四八頁)。

(3)「三大社会階級。これら三階級のあいだの交換。流通。信用制度(私的)。」(『資本論草稿集』第一巻、六二頁)。

(4)『資本論草稿集』第一巻、三一二頁。

(5)『経済学批判』岩波文庫、一三頁。

(6)この『経済学批判』の序言の一節は、『資本論』にも引用されており、マルクスにとって社会と社会の上部との区別は、決定的である。『資本論』第一巻では、ゾツィアールは社会の上部を指すものとして、ゲゼルシャフトと明確に区別されて使われている。ディーツ社『現行版』( MEW二三)で、その箇所を示せば、次の通りである。

①一六、②九六、③二四六、④二四六、⑤二八〇、⑥三一五、⑦三二五、⑧五二七、⑨五二八、⑩六一四、⑩七七四頁。

(7)マルクスの考察の対象は社会なので、社会の上部における、その物的および意識的諸形式については、ほとんど触れられていない。しかし、マルクスが、物的形式としての土台と上部建築という二重構造を指摘すると同時に、意識形式についても、ゲゼルシャフト的意識形式とゾツィアールな意識形式との二重性をとらえていることは、ほとんど理解されていないが、重要である。社会的意識形態についての、河上と福本の論争は、河上がこのことに無意識的に気づいていたことから、生じたものである。

(8)「社会のうちで生産している諸個人がーーそれゆえ諸個人の社会的に規定された生産が、もちろん出発点である。」(『資本論草稿集』第一巻、二五頁)。

(9)「彼らの生産は直接には社会的ではない」(『資本論草稿集』第一巻、一三九頁)。

(10)「大工業の生産過程では、一方で、自動的過程にまで発展した労働手段の生産力においては、自然諸力を社会的理性に従わせることが前提なのであり、また他方で、直接的定在における個々人の労働は、止揚された個別的労働として、すなわち社会的労働として措定されているのである。」(『資本論草稿集』第二巻、四九六頁)。

(11)『資本論草稿集』第一巻、一六〇~一六一頁。

(12)「私的交換にもとづく生産システムは、なによりもまず、この自然生的な共産主義の歴史的な解体である。……」(『資本論草稿集』第二巻、八一一頁)。



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