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労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその7

2021年02月16日 | 評論

労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその7

 

七、柳田の労働組織の内実

 

協同労働組織の基本単位としての家族とは、決して一軒の家に同居する集団をさすのではない。一軒の家に何組かの夫婦(一夫一婦とは限らない)が共に棲もうが、別々の家に住もうが、一つの組織として労働を協同し、生活を共同するものを家族であるとする。「家族」という言葉に騙されてはならない。

 

「家族といふ言葉は古い日本語では無い。従うて今の民法できめられた範囲が、昔の通りであったとは無論言へない。戸とか家という漢字が我々のヘ又はイへに宛てられ、双方共に建築物の名と共用になって居たことは、歴史を尋ねる人にとって大きな不便、もしくは不幸であったと言ってもよい。」(「大家族と小家族」)

 

協同労働組織としての家族では、その成員はそれぞれの労働を行なうのだが、それに対して報酬は支払われない。家族員の労働は自分も含めての家族全員に役立ち、家族の維持・再生産に寄与する。働くことが直接に生きることとなって、労働の喜びを実感し、共感することが出来た。

 

「私などに取ってのうれしい発見は、労働に関する至って古風な考へ方が、まだ村だけには残って居たといふことである。今になって之を説立てるのも咏歎に近いが、労働を生存の手段と迄は考へず、活きることは即ち働くこと、働けるのが活きて居る本当の価値であるやうに、思って居たらしい人が村だけには多かった。……外から見た所では祭禮でも踊でも、骨折は同じであって、疲れもすれば汗もかいて居る。山野に物を採りに行く作業などは、其日によっては遊びとも働きともなって居る。それを近世の都市式人物ばかりが分界を立てずには置かなかったのである。」(「都市と農村」)

家族の長は、その組織のリーダーとして自らが先頭に立って働き、他の成員と同じ物を食べ、同等の生活をした。オヤとコは、支配と被支配の関係ではなかった。

労働組織の基本単位としての家族は、他の家族との協同労働組織である村落共同体を形成し、一家族では出来ない大がかりな労働や祭儀を行なった。また、家族間や村落共同体間で、特産品や特殊技能のやり取りを行なったと考えられる。

このような協同労働組織の崩壊についても、柳田は考察している。

 

「此様に農村には、古来慣習的に巧妙な便利な労力組織が出来て居て、共同して生活を営んで来たものであるが、近世になって色々の原因から、此共同が破れることになって来た。その最も大きな原因の一は、親方だけが先に進んで、他のものを後に取り残したことである。」(「農村家族制度と慣習」)

 

これはもちろん、国や階級の形成、それに生産力や経済制度の変化と併せて考察されなければならないが、協同労働組織のオヤが支配者に転化して来たとする見解は、有効だろう。

 



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