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マルクス剰余価値論批判序説 その12

2021年03月03日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その12

 

(13) 「貨幣それ自体が共同制度なのであって、自分のうえに他のものが位することを許すことができない。」(『資本論草稿集』第一巻、二四四頁)。「貨幤はここでは事実上、諸個人の共同制度が彼らの外部に物として実在しているものとして現われる。」(『資本論草稿集』第三巻、四九頁)。「貨幤関連――そこでは諸個人の共同制度そのものがひとつの外的な、だからこそまた偶然的な物として、すべての人々に対立して現われる」(同、一二一頁)。

(14) MEW二三、五二頁。マルクスは、対立の統一としての概念を説明するに当たって、対立的な形容詞を二つ並べる場合がある。sinnlich "ubersinnliches Ding(MEW二三、八五頁)は有名だが、適切な表現であるとは思えない。

(15) MEW二三。七三、八二、九二、九四、一〇九、三五〇、四〇七、七九〇頁。

(16)メルロ=ポンティが『弁証法の冒険』で使っている、「社会の社会化Vergesellschaftung der GeseIIschaft」 は、その内容から言えば、ゲゼルシャフトではなくゲマインシャフトの社会化であり、言葉の使い方は間違っているものの、意味は理解できる。しかし、マルクスの社会の社会化は、社会の直接化であり、直接的な社会というものは概念的に成り立たない。それは、社会ではないのである。止揚された社会というものは、人類にとって未知のものであり、名づけられていないものである。社会主義社会や共産主義社会は、それが社会である以上、理想的な資本制社会、すなわち、唯一の資本家とその他全ての労働者とからなり、資本間の競争が止揚されて、唯一の資本による計画的生産が行われる資本制社会である。

(17)複数の労働者が同一の資本によって協同する場合の、個人のカの足し算を越える生産力の発揮を、マルクスは、労働の社会的生産力または社会的労働の生産力であると言う(MEW二三。三四九、三五二、三五四、三八六頁)。だが、同じ労働を、直接に社会的またはゲマインシャフト的労働であるとも言う(同。三五〇、三五二頁)。

 



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