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マルクス剰余価値論批判序説 その4

2021年02月23日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その4

 

2、社会の上部

 

マルクスはここで「社会の外部」と言っているが、『経済学批判』と併せて見れば、ここで「社会の外部」と言われているものが、実は「社会の上部」であることが確認できる。

「社会の上部」とは、現実の社会の抽象、つまり公的幻想的ゲマインシャフトのことである。

この「社会の上部」を指す言葉として、マルクスはsocialを使っている。

有名な、『経済学批判』の序言の一節を見てみよう。

人間たちは、彼らの生活のゲゼルシャフト的生産において、特定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、すなわち、彼らの物質的生産諸力の特定の発展段階に照応する生産諸関係を受け入れる。これらの生産諸関係の総体がそのゲゼルシャフトの経済的構造を形成するが、これが実在的土台であり、その上に法的および政治的な上部建築がそびえ立ち、そしてこの土台に特定のゼゲルシャフト的意識諸形式が照応する。物質的生活の生産様式が、social、政治的および精神的な生活過程一般の条件を与える。(5)

このように、マルクスは、ゲゼルシャフトを物質的生産という土台そのものを指す言葉として使い、 ゾツィアールをゲゼルシャフトの上部にあるものを指す言葉として使っている。(6)

日本語では、社会も社会の上部も、ともに「社会」と呼ばれているので、注意を要する。

社会と、社会ではない「社会の上部」とを、マルクスは用語上でも明確に区別しているのである。(7)


マルクス剰余価値論批判序説 その3

2021年02月22日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その3

 

第一章、社会とその上部

 

1、生産関係としての社会

 

『経済学批判要綱』と『資本論』とを、それ以前のマルクスから区別づけるものは、マルクス独自の剰余価値論の存在である。マルクスの剰余価値論は!古典派政治経済学の労働価値論に対する批判であり、その労働価値論に基づいた社会主義や共産主義に対する批判である。

マルクスは、古典派政治経済学の労働価値論の批判において、まず労働価値論そのものを完成させる。そして、自ら完成させた労働価値論が、いかに「狂った」観念であるのかを、論証したのである。

マルクスは労働価値論を提唱しただけではなく、それ自体を解体しようとしたのであるが、後者については前者ほどには注目されなかった。それは、マルクスの剰余価値論が、あまりにも社会的だったからである。

『経済学批判要綱』における、社会についての記述を見て

みよう。

われわれがプルジョア社会を全体として観察するときには、社会的生産過程の最後の結果として、つねに、社会そのものが、すなわち、社会的諸関連のなかにある人間そのものが現われる。(1)

 

このように、社会は、生産過程における人間の連関の様態として捉えられている。だが、そのような人間が、階級関係に規定されているものであるという以前の見解は、特に強調されてはいない。もちろん、階級関係が忘れられているわけではない(2)。しかし、階級関係を社会関係としてみる姿勢

も現われている。(3)

階級関係にもとづいて社会関係があるとする中期マルクスの見解から、階級関係をも社会関係として見てしまうような、階級関係についての位置づけの揺らぎはあるものの、社会についての見解に、変化は見られない。

もう一つ、社会についての記述を見てみよう。

社会は、諸個人から成り立っているのではなくて、これらの個人がたがいにかかわりあっているもろもろの関連や関係の総和を表現している。まるで、社会の見地からすれば、奴隷や市民は実在しない、つまり両方とも人間だ、と言おうとする人がいるかのようである。そうではなく、彼らが人間であるのは、社会の外部で、なのである。奴隷であり市民であるのは、AおよびBという人間の社会的規定、社会的関連なのである。人間Aは、人間そのものとしては奴隷ではない。彼が奴隷であるのは、社会の中で、また社会を通じてである。(4)

ここでも社会は、生産の総過程としての社会的連関にある人間(個人)として、捉えられている。だが、ここで注目すべきなのは、マルクスが、社会ではないことについて語っているところである。


労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその12

2021年02月21日 | 評論

労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその12

十二、労働価値論の可能性

 

労働の価値は経済的な価値ではなく、人間的・生命的な価値なのだ。中上の言い方では、経済学や社会科学ではなく文学的価値、ということになる。「人間の在り方」と「価値」とが同義であり、存在概念と価値概念とが合致する世界を「文学」と呼んでいることになる。この合致を実践において「哲学」と捉える廣松(『新哲学入門』第三章)と、同じ立場になるのかもしれない。柳田も、政治的や経済的ではない農民の生活の在り方として、労働を捉えた。生活そのものとしての労働に、価値を見たのだった。

労働時間以外の自由時間の為に嫌々働くとはいえ、人は労働においてより良い仕事をしようとし、物や人々と協力しようとする。それらは全て、経済的利益のためだろうか。支配・監督されているからなのだろうか。そのような側面が強いことは確かだか、それだけではないだろう。奴隷制下の労働ではあっても、労働そのものの喜びを、労働者は感じる時があるのではないだろうか。自分の労働が人に役立つという喜びを、それで賃金を手に人れるという事とは別に、覚える時があるのではないのか。

現実の労働は、人の役に立ち、喜ばれることばかりではない。人を不幸にし自然を破壊し、嘘をつき、屈辱にまみれ、憎しみや悲しみや苦しみや怒りを生み出す仕事も多く、労働そのものが価値なのだという実感を得ることは少ないかもしれない。人を蹴落とし踏みつけて、自分だけが得をするのが働くということだとさえ、思っている人もいるだろう。

だが、それらは全て、経済的労働価値論の基盤から生じている。人間には闘争本能があるとか、競争が進歩をもたらすとか、人間は政治的動物だとか言うのは、贈与としての労働が忘れられ、取得としての労働に歪められた結果、後になって人間に植えつけられた観念にすぎない。

マルクスも含めた経済的労働価値論が日常的イデオロギーとなって、労働観念を歪め、本来の労働観が隠蔽された。そして、誤った労働観に立って労働者の解放が唱えられた。労働者は労働から解放されるのではなく、自由な労働を(再び)自分のものにしなければならないのだ。

労働者が賃金奴隷であるということはよく言われるが、間題は、奴隷である労働者が、なぜ奴隷に甘んじているのかだ。現代の賃金労働者の実践行動には、奴隷制度を崩壊させようとする方向性が、ほとんど見られない。現在の労働制度が、人間や自然を破壊している事実には事欠かないのに。

賃金労働者は、自分が奴隷であることに気づかないのか。従来は、そう考えられていた。だから、マルクスの理論を宣伝し、労働者は搾取されており、現代が賃金で縛られた奴隷制の時代であることの理解を求めた。

しかし、労働者は、自分が賃金に縛られた奴隷であることを知っている。日々の賃金労働が、それを労働者に教えている。労働者が知らないのは、労働が奴隷の行為ではなくて、労働こそが人間としての価値を持つ喜悦の行為であることだ。だが、賃金労働者は、自分が労働において奴隷であると実感しており、労働以外の時間のために奴隷的労働に従事するのだと理解している。

奴隷は、鎖でつながれているから奴隷なのではない。奴隷だから、鎖でつながれているのだ。

奴隷としての存在観と価値観からは、奴隷としての実践観しか生まれない。奴隷解放の実践観は、奴隷ではない存在観と価値観から生まれる。労働が奴隷の活動だという意識からは、奴隷解放の実践は生まれない。労働は奴隷的な非人間的な活動ではなく、労働は本来人間的価値に満ちた活動であり、生命の喜びを分かち合う行為なのだ。このことを深く認識する所から労働者の存在観と価値観が変革され、奴隷解放の実践観が生まれることになるのではないだろうか。労働観・労働論の変更が、労働者としての存在観と価値観を変革し、新たな実践の意識が生まれるのではないだろうか。

人間的労働無価値論である経済的労働価値論に、未来はない。地球そのものが破壊されるだけだ。人間的・自然的労働価値論の復興こそが望まれる。

 

 


労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその11

2021年02月20日 | 評論

労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその11

 

十一、贈与としての労働

 

労働を価値生産的労働に限定することは誤りだった。それでは、労働を人間身体の全ての活動に拡張することはどうだろう。ジョギ

ングや睡眠時の夢をも労働だとすると、労働概念は必要なくなる。労働を人間活動という言葉に置き換えることは、思考を放棄するに等しい。

贈与として労働を見る場合には、人間活動の内、自他への贈与可能なものを労働であるとする。

労働が賃金で拘束され、労働の生産物が商品となったり、あるいは家事労働に賃金が支払われない、といった労働を取り巻く政治経済的情況は、労働そのものの規定には影響しない。物を作る活動も物を作らない活動も、それが人に役立ち、贈与可能なものならば、全て労働となる。肉体労働と精神労働の区別もない。経済的価値の生産・非生産の区別もない。

労働とは、人の生活に役立つ行為そのもの、人の肉体および精神に有用で快感である活動が行なわれる、その行為自体をさす。その労働が直接的に、政治経済的に歪められずに現われているのが、贈与としての労働なのだ。

労働の活動の結果として、何かの物が製作・生産され、それに政治経済的な価値が宿るかどうかは、労働そのものの規定を左右しない。労働の活動そのものが労働の質料(マテリア)であり、マルクスはそれを生きた労働、対象化されていない労働と呼んでいる。しかしマルクスは、マテリアではなく、現象形態である労働の形式を重視する。それは、資本主義が形式主義だからなのだが、それでは唯物論的ではなくなる。唯物論(マテリアシスムス)は、形式主義ではなく質料主義でなければならない。

価値形式論においてマルクスは、労働の形式を対象化される労働とし、労働の質料を対象化労働の抽象的人間的労働とした。つまりマルクスは、質料を形式の抽象として取り出した。形式から質料を規定したのだ。

それは、マルクスの労働論が経済的価値論の一環でしかなく、本来の労働論をマルクスが考察していないところから来ている。価値形式論の考察はマクスの功績だが、その前提であるべき労働論を 価値形式論によって展開したことは、批判されなければならない。労働は、経済的であるより先に生命的なものなのだから。

 

 


労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその10

2021年02月19日 | 評論

労働価値論の可能性ーー贈与としての労働ーーその10

 

十、縄紋時代の労働

 

階級や権力的支配のない時代、例えば縄紋時代を考えてみよう。

縄紋集落の基本単位は、三軒ほどの家屋と墓や祭場などがある広場(または広い前庭)を利用する居住集団である、と見られている。そこに一年中暮らしていたのではなく、地域によっては食料事情等で移動もしていたと考えられるが、そのような集団が縄紋時代での基本的な協同労働組織、すなわち家族と言えるだろう。考古学者たちの多くは、一軒の家屋に一つの家族を想定しているが、この時代にすでに核家族のような、固定した夫婦や親子の関係が形成されていたとは考えられない。次の記述は弥生時代の九州地域に関するものだが、このような見解を更に弛めたものが、縄紋時代の成人男女や子供の関係だったと思われる。

 

「たとえ単婚的な男・女の夫婦が存在したとしても、海外への渡航とか、遠隔地の村へ分村する時、夫婦揃って行くのでなく、一方だけが移動することが多いため、その家族は容易に分解するものだったのではなかろうか。一応血縁や地縁で集団として村を形成した中でも、男・女は夫婦であるより先に個々人で村の構成員であって、子供が生まれても、誰かの子供ということよりも、村の子供として、村の総体の中で育てられたように思われる。」(間壁葭子、『日本の古代』第十二巻)

 

基本単位集団(家族)が幾つか連帯して組織を形成し、その大きな組織がまた別の組織と連携して、大がかりな集会(祭りや成人式や信仰儀式など)を行なうなどの組織活動が想定される。石器・土器・木器・手工品・塩・加工食品・祭具・装飾品(希少品)などの特産品や特殊技能は、各家族間ではなく大組織間で流通し、そこから家族に分けられたと思われる。

問題は、その流通の原理が交換(強制的な相互贈与)か、それとも家族内と同様の積極的贈与なのかにある。縄紋時代には戦争の痕跡がないので、略奪などによる流通ではなかった。それでは、贈与と交換の違いは何か。

 

「『交換』の両当事者の各々が自分の所有する財を相手の所有に移すに際して(この所有権の移転ということまでは『贈与』『献上』『下賜』とも共通だが)、相手の所有する所定財の反対給付を受ける約束が事前に成立している場合(簡略に言い換えれば、所定財どうしの所有権の契約的相互移動)、そのような交換をわれわれは商品交換と定義し、そこで交換される財を商品と定義する。」(廣松渉『生態史観と唯物史観』)

 

贈与とは一方的な行為であるが、皆がそのようにすれば、結果的には相互的な行為に見える。だが、贈与に対してお返しという負債観念が強制されれば、それは交換に近い。

家族という協同労働組織内では、損得勘定のない一方的贈与が有機的に結合して、その生活共同体が運営される。これと同じ贈与労働の意識が、各家族間や大組織(部族や部族連合も協同労働組織であり、政治的組織は戦争の発生と共に形成される)においても、贈与の原理が貫徹されたのではないだろうか。

これを裏付けるものとして、縄紋時代には墓が住居地内部に設置されていたのに、戦争や略奪が行なわれる弥生時代では、墓は住居地から森一つ隔てたという具合に遠ざけられる。死者と日常的に生活を共にしていたのが、死者を日常から排除するようになる。レヴィ=ストロースによれば死者は他者のイメージであり、他者としての死者は贈与を強要し、死者との応接に期日を限ることは贈与を限定することだから(「火あぶりにされたサンタクロース」)、縄紋時代には他者のイメージはなく、誰に対してもいつでも贈与の原理で接したのではないだろうか。

 

「損得の観念が先立てば、マリノフスキーが理想とした《純粋な贈与》、つまりお返しをまるで期待しない一方的な財の流れなどなりたたないだろう。愛によって結ばれた関係では、むしろ無償で贈与すること、そして喜んだ相手の顔をみることそのことが無性に嬉しいわけである。文明社会ではごくせまい範囲でしかみられなくなった、人間の真の共同

体的本質が未開ではまだ全面的に開花していた、といえるだろう。」(山内昶『経済人類学への招待』)

 

考古学者も人類学者も家族を協同労働組織としてでなく、血族や姻族として見ているので、純粋な贈与を労働そのものではなく《愛》に起因するものとしている。だが、純粋な贈与の観念は《愛》から生ずるのではなく、労働そのものから、労働が人に役立ち、自然から贈与された生命を活かすことが出来るという喜びの事実から生まれる。