僕はどうも昔から、差し入れとかが苦手だった。自分の好みのものであれば食うが、そうじゃなければ食べたくない。でもそれを言うと、「せっかく作ってくれたんだからさ」とか周りの人が言うのである。いや、それって親切か? お節介って言うんじゃないのか? そういうのが好きな人が一定数いるのはわかる。周りの人に尽くしたり、自ら進んでなにかを提供したり。でも、それってただの押し付けじゃないのか? そういう風に考える人だっていていいはずだろう。それなのに、親切を受け取らないと、そちらが悪にされる。なぜだろう。
人が作ったものとかも苦手だった。大学生くらいまでは、親の作った料理すらそうだったのだ。だから小さいころなんかは、俺がインスタント食品しか食べないから、親によくキレられた。「あんたなんかこれでも食ってろ!」って言われて、カップラーメンを投げつけられたことを覚えている。それでも、親の手料理を前にすると、吐き気がすごかったのだ。特に嫌いなものだと。
なぜ自分がそうなのかと考えると、俺は人にペースを乱されるのがすごく嫌な人間なのだと思う。だから食べ物も、自分の好きなときに食いたいし、食べたいものを食べたい。差し入れをくれる心はとても素敵なものだと思うが、別に食いたくないときにはいらないのだ。それでも、なかなかそういうことを言いづらいというのもある。傷薬を口に放り込まれてる気分なのだ。しかもそういうことをする人は本当に善意でやってるから、余計断りづらい。断ると、まるで世界が終わったかのような顔をするのだ。たぶん、そういうことで自分の存在を確かめているのだと思う。だからまるで、自分を否定されたような気分に陥るのだろう。別に俺もそんな意図があるわけじゃない。ただ、いらないと思うだけなのだ。
だから、1つ提案する。作る前に「いるかどうか」聞いてくれないだろうか? ものを聞いて、いると思えば頼むし、いらないと思えば断る。そうすれば食品も無駄にならないし、余計な労力もかからない。それがお互いにとってよいと思うのだが、世の中の親切な方たち、いかがですか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます