たとえば、髄膜炎などによる髄膜刺激症状に光過敏があることは医師なら誰でも知っている医学的な常識です。
私の外来に多い眼瞼(がんけん)けいれんという病気も、高度の光過敏を自覚している人が非常に多く、原因は脳の「視床」の過活動だという説が有力です。
さらに調べてみると、全身に痛みを発症する線維筋痛症患者の7割が羞明を自覚し、慢性疲労症候群、脳脊髄液減少症、パニック障害、自閉症スペクトラム障害などでも高度の羞明を自覚する人が少なくないことが知られています。眼球には原因がないこうした高度のまぶしさが脳の誤作動で生じることは多くの神経学者は認めていて、「中枢性羞明」という用語も使われます。
それには視床や視床下部の誤作動といったメカニズムがあるとの説がありますが、まだまだ科学的に証明できているわけではありません。脳の画像診断など、随分と進歩してきてはいますが、形の異常に表れない誤作動についての解明には限界があるのです。
メカニズムは十分わからなくても、高度なまぶしさで日常行動ができない方々が現にいるのは事実ですし、彼ら彼女らは学業や、仕事、日常生活で遮光レンズやサングラスを手放すことができません。
ことはサングラスの使用に限りません、たとえば視覚障害者が白杖(はくじょう)を使い始める時、すごく勇気がいるそうです。どうしても人目が気になる、みじめに思う、障害者だと思われたくないなど、複雑な思いがあるのです。
健常者にはそういう実感は、なかなか伝わりません。それでも、電車やバスの中で、白杖や松葉杖(づえ)を使っている人に席を譲る姿は、よく見かけられます。日本人には元々、思いやりが備わっていることは、こういう姿からもわかります。
でも、障害は外見で見分けられるものばかりではありません。思いやりの輪はもっと広がってもらいたいものですが、外見で見分けられないことにまで、人々の理解を求めるには、社会全体の精神的ゆとりや、ぎすぎすしていない空気が必要だと思います。
私どもの「NPO法人 目と心の健康相談室」では、活動5周年を機にそういうことを市民と考えるため「広げよう思いやりの輪・輪・輪!」と題する催しを、9月5日(木)に東京都町田市で開きます(入場無料、詳細は 同法人のホームページ をご覧ください)。
話を色つきレンズに戻しましょう。
思いやりの強要といわれるかもしれませんが、初めは、色つきレンズをすること自体への本人の躊躇(ちゅうちょ)や他人の理解不足で使用しにくかったものが、いつの間にか使用することが当たり前になればよいと思うのです。
医療用レンズだということが、外見では見分けがつきにくいので、眼鏡枠の角あたりに何か目立つ「医療印」のようなものをつけて、周囲にアピールする方策はいかがでしょう。写真は、市販のシールを、試しにサングラスの邪魔にならない所に貼ってみたイメージ画像です。
色つきはだめという既成概念を崩す誘い水になればいいと思うのですが、読者の皆様はどうお考えになりますか。