いつものように目覚まし代わりに鳴り出したNHKの午前4時のニュースに起こされ、寒さに縮こまりながらベッドを離れる。
寝室の細長の窓から外をのぞくと、一応、銀世界が広がっているように見えた。
「一応」とか「ように」などという余計な修飾語をつけたのは、道路の一部には積り損ねたような「白」以外の地肌がのぞいていたからである。
様子見がてら玄関を出てポストまで新聞を取りに行くと、ビニールにくるまれた新聞がいつものように、きちんとポストに入っていた。
雪の積もった道路を、しかも坂道をいつものように配達してくれたのである。
誠に頭が下がる思いで、ビニールにくるまれた新聞をポストから取り出した。
実はボクも大学生の頃、1年間だけだったが、朝夕の新聞を配った経験がある。
それも250軒。
当時は新聞広告の全盛期で、新聞各社は殺到する広告掲載の申し込みに、普段発行している30ページ前後の新聞だけでは収容しきれないため、火曜版だの木曜版だの別刷りを発行していた。
配る側にすれば250部だけでも大変なのに、別刷りがある日は部数だけで500部にもなり、その重さと量たるや、相当なものだった。
当時、自転車の荷台に括り付けて配ったが、積み上げた新聞の高さはボクの頭を優に超え、新聞に隠れてボクの姿は見えなかったはずである。
そして、その年は雪が多かった。
起伏の多い横浜に住んでいたのだが、重心の高さを考慮に入れて慎重に走ったつもりだが、それでもカーブを曲がり損ねて転倒してしまい、届いたばかりのインクのにおいのする新聞を泥だらけにしてしまい、途方に暮れかけたことがあった。
汚した新聞を配るわけにもいかず、公衆電話を探して販売店に電話し、転倒現場まで新しい新聞を届けてもらったり…
その年は4月にも記録的な大雪に見舞われた。
30cmは積もったと思う。
販売店から遠く離れた場所を受け持っていたのだが、自転車は当然使えず、要所要所に車で運んでもらっておいた新聞の束を拾っては雪道を走って配った。
いつもより配達が遅れているという自覚があり、待っている人に申し訳ないという思いで必死だった。
全身汗みずく。多分湯気を出して走ったと思う。
新聞が今よりずっと、世間から頼りにされていた時代でもあった。
雪の朝を迎えると、今でも思い出す若かりし頃の1ページである。
今朝5時前のわが家の前の道路
玄関アプローチの積雪はこの程度
庭の土の部分はさすがに積もっている
5日12:22 初雪はこの頃から降り出してきた
16:33 2階のベランダのプランターも雪化粧しはじめる