アール・ヌーボーを代表する画家で、パリの劇場で上演される演劇の主人公たちを描いたリトグラフのポスター画で知られていて、妻に誘われた時、「あぁ、ああいう作風の絵描きか」と思ったのだが、足を運んでみてイメージが随分と違った。
チェコ生まれのスラブ人で、チェコ語では「ムハ」と発音するそうだが、50歳で故郷に戻って作風をガラッと変えた人である。
スラブ民族の歴史はモンゴルなどの騎馬民族、オスマントルコ、果てはナチスドイツに蹂躙され、これら以前の古代においても様々な勢力によって翻弄され続けた苦難に満ちたものだったようだ。
民族の誇りを保ち、自由を獲得するための様々な戦いを重ねるのだが、そうした中で、いかに民族としてのアイデンティティーを保ってきたのかという苦難の歴史を叙事詩として描いた作品はなかなか見ごたえがあった。
ムハは叙事詩を20点描いていて、それもすべて壁画のような超大作である。その20点すべてが出展されていて一堂に会しているのだから結構迫力がある。
もっとも、印象に残ったのは絵そのものの魅力、良し悪し、好き嫌いというより、民族を取り巻く壮大な歴史であって、ナチスドイツを打ち負かしたと思ったら、今度は同じ民族ながら、ソビエトの支配下に入って自由を奪われ、「プラハの春」と呼ばれ、ようやく訪れた民主化運動も一旦は抑圧されるなど、傍目にもハラハラドキドキの民族であり地域なんである。
東京オリンピックで金メダルを取って日本人にファンの多い体操のチャフラフスカさんも民主化運動の先頭に立ったことで、ひどい仕打ちを受けている。
そういうことが目の前の叙事詩とダブって、ムハが生きていればこれもまた格好の題材だなぁ、チャフラフスカさんも絵のどこかに描かれたことだろうなぁなどと頭に浮かんでくるのである。
そして、バルカン地域、あるいはバルカン半島と呼ばれるこの地域は紛争多発地帯で、つい最近まで戦禍の絶えなかった地域であり、第一次世界大戦の引き金になった事件もここで起きている。「世界の火薬庫」と呼ばれたゆえんなのだ。
サッカー日本代表監督で、実に味わい深い言葉の数々を残したイビチャ・オシム監督も旧ユーゴのボスニアヘルツェゴビナ生まれのスラブ人だし、現在のハリルホジッチ監督もオシムと同郷だったと記憶している。
それやこれやでスラブ叙事詩とは浅からぬ縁があると言えばあるんである。
いずれにしても、2度にわたる異民族の侵略を撃退し、島国でぬくぬくと一定の平和を享受してきた日本人には到底理解しがたい環境に身を置かざるを得なかった、苦難に満ちた民族の歴史叙事詩というものは、それなりに胸を打つものがあるのだ。
美術館を出て東京見物のため、地下鉄はやめてバスにしたら、新橋駅行きの都営バスにはテレビがあってニュースを流しているのを見て、つくづく都会を感じましたな。さすがトーキョーですな。
翻ってわが地域のバス会社は最近運転手の応対が良くなったと喜んでいたが、次はそういうサービス向上も必要だろうね。
でもどれくらいのタイムラグがあれば、こちらにも伝わってくるんだろうか。
新橋からはぶらぶらと銀座を歩き、京橋を越えて日本橋も渡り、てんぷらを食べた後、JRの新日本橋から電車に乗って帰ってきたので歩数は1万9000歩を超えた。
心と体への刺激としては、そこそこだったんじゃないだろうか。
20点の叙事詩の内数点は撮影可だった。そのうちの「イヴァンチツェの兄弟団学校」。15世紀のチェコの宗教改革運動を描いているそうで、チェコ語に翻訳した聖書の印刷をする風景だそうな
「ロシアの農奴制廃止」。モスクワの赤の広場に面するワシリイ聖堂の前で自由を告げられた農民が、その意味を計りかねるかのように呆然とたたずんでいる光景
20作品目の最後に描かれた「スラブ民族の賛歌」。神話的な時代、中世のフス戦争とスラブ民族の勢力拡大、他国の支配を受けた抑圧の時代、1918年のチェコスロバキア独立により達成された自由・平和・友愛の勝利――の4つを表現している、という
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