平方録

廊下の奥にローカが突っ立っていた

寒いだの、早く春にならないものか、などとぼやいてばかりいるような気がするし、実際ブログにもそういう類のことばかり書いているような気がする。
病は気から、というけれど、寒さというのもひとたびそう思い込むと、大したことがなくても寒く感じるものなのだろうか。
勤労感謝の祝日の翌日の11月24日に関東南岸のわが海沿いの街にも2、3センチの積雪があってびっくりさせられたけど、気象庁の記録にもないような記録的な早さの積雪だったのである。
それ以降だって確かに暖かい日も何日かはあったけれど、総じて冬らしい日が続いてきたような気がするのだ。

ボクの今冬の寒がりぶりを見た妻が、体質が変わったんじゃないの? というくらいにはたからは見えるようなので、どういうことなのかあれこれ考えてみた。
理由らしきものはいくつか挙げられるのだが、今冬はあまり身体を動かしていない。おかげで身体の奥底で不完全燃焼が続き、新陳代謝も進まず、寒さが身にこたえるのである。
そもそも寒いからという理由もあるのだけれど、肉体的に少し大人しくしておこうという気持ちもあるのだ。
それに加えて、ひょっとして社会に対して責任を背負う必要がなくなったことと関係しているんじゃないだろうかという点。去年の6月に完全にリタイアしたからね。そのことが心の持ちようとして関係してきているのだろうか。

そんなにもってまわった言い方をしなくったって、早い話が、本当の意味のジジイになっちまったんじゃないのか。
体力も気力も、ともに手放してしまい、腰は曲がり、足を引きずり、目やにをつけ、よだれを垂らし、すべてにノロノロと暮らしていると寒さというものが容赦なく忍び寄るのだろう。
生物学的に止むを得ない状況というのがあって、それはローカ現象とも呼ばれるが、それについては当然のことながら個人差いうものを忘れてはいけないが、その個人差を生む要因は遺伝子という生物学的な要因に加えて、生息環境とか各々の個体の内面の問題であったりすることが想定されるのである。
言い換えると、生物学的なローカ速度を超えたローカの程度というものがまれにあって、それは怠惰で府抜けてしまった高齢男性を襲うのではあるまいかという点である。

ということは… ローカの中には生物学的な宿命というより、個人に由来する原因によって生じるものが混じっているのである、という推測が成り立つではないか。
まぁ早い話が寒さなんかに気を取られているからそうなっちゃうんであって、寒さなんぞ気に掛けていられないくらいの状態に身を置けば済む話なのである。
ったく情けないことになってきたものである。

昨日は1日中氷雨が降り続き、本当に陰気で不景気な一日だった。おかげで、また炬燵のシミになって過ごしたのである。



一昨日、近所を散歩していたら植木屋の庭でサクラが咲き始めていた。サクラの種類は不明だが、こういう青空と花の便りに接すると寒さは吹き飛んでしまうのだが…
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事