平方録

膀胱をダマす手立てはないかなぁ

久しぶりに気合を入れて日曜坐禅会に参加してきた。

11月の中旬すぎから、風邪をひいたと思って町医者に行けば風邪ではなくてアレルギーが起きているのだと言われ、2度の白内障手術での入院も重なってじっくり坐禅をするような気分になれなかったのだ。
アレルギーは抗生物質で退治し、両目のレンズを新しいものと交換したのですっかり曇りが取れて世の中が明るく見える。
おまけに左右の目に違ったレンズを入れたので、今のところ近眼鏡も老眼鏡も必要なくなっている ♪

北鎌倉の円覚寺までは気候が良い季節は20分余り自転車を漕いでいくのだが、北風が身を切り始めるとそうもいかず、行きだけは車で送ってもらっている。
その車の温度計を見たら何と外気温は3度!と表示されている。
随分寒くなったものだなぁと思いはしていたが、実際に3度などという表示を見せつけられると改めて寒さというものを実感させられる。

3度って、目の前の海を黒潮が流れる南関東に在っては真冬の気温で、零度くらいまでは有り得るのだが、こういう温度が現れるのは年が明けてからだという感が強く、しかも今年は暖冬予報が出ていたはずなのにどうなっちゃってるんだ? とチコちゃんに問いたい。

で、坐禅会場のだだっ広い大方丈に行ってみれば、扉という扉は見事に開け放たれ、中の空気は外の空気と何ら変わらない。
それでも昨日は風がなかったからまだしも、これで時々冷たい風が吹いてくるようだと最悪である。
北鎌倉の円覚寺の建つところは谷戸になっていて、おまけに東側に山を背負っているので日が射してくるのがとても遅い。
午前8時とは言え、この時間は立派に寒いのだ。

ただ、寒中入りすると廊下は氷の廊下にとってかわられた如く、素足で歩くと冷たくて痛いほどなのだが、まだそこまでは行っていないから寒いと言っても大したことはない。
そして外気と同じ冷え切った空気の中で坐禅すること20数分。
8時半からは横田南嶺管長がお出ましになり、今は盤珪禅師という江戸時代の禅僧が残した語録を素読し解説してくれるのを坐禅を組みながら1時間、じっと聞くのである。
そして管長がお出ましになる直前、それまで開いていた扉という扉は全て閉められる。

実際の寒さというものは、扉を締めたからといってすぐに部屋の内部が温かくなるわけもなく冷え切ったままだが、それでも何かホッとするのは心根の問題だろう。
全国に14ある臨済宗の大本山の管長の中で一番若い50代半ばの横田管長はといえば、これは明らかに着ぶくれている。
無理もない。禅寺というところにはせいぜい火鉢が一つ置いてあるくらいだろうから、着ぶくれなければ凍死しかねない。

ボクはと言えば白内障手術で入院していた病院を退院したその足で、すぐ近くにあるアウトドア専門の大きな店で買った暖パンを履いていったのだが、これがとても暖かく、してやったりである。
寒に入ればこの下にタイツでも履けば十分だと思う。ボクは股引やタイツの類は嫌いで履かないが、坐禅の時の寒さ。対策だけは別である。
上半身は安物の極暖の肌シャツを着て、その上に冬用の少し厚手の柄シャツ、そしてスコットランドの漁師が極寒の北海に漁に出る時に着込むというインバーアランの手編みのズシリと重いカーデガンを着て行ったのだが、これで寒さに震えがくるということはなかった♪

ジジイになると、寒さは耐えられても身体が勝手に反応してしまって、トイレが近くなって困るのだ。
まさか坐禅中にトイレに立つなんて切羽詰まれば別だが、ふつうはあり得ないし、ボクはいやだ。暖かくしておく以外に方法はないのだ。
膀胱をダマす術はないんだろうか。目下の関心事である。




円覚寺ではロウバイが咲き始めていた


居士林の庭で咲く木にはまだ葉っぱが散り切らずに残っている


三輪の石積み上のハゼかウルシが真っ赤に色づいている=円覚寺・黄梅院


大きなカエデは十分に黄葉しきれずにいるが、さらさらとした竹の葉と響き合っていい感じだった=円覚寺・如意庵への階段


円覚寺からの帰り道に立ち寄った鶴岡八幡宮では「御鎮座記念祭」をやっていた。火災で焼け落ちた八幡宮の前身の神社に
頼朝が京都から新たに呼び寄せたご神体を祀ったのが1191年の12月16日(新暦に換算)とかで、毎年夜に神楽を
奉納しているそうだ
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