ここまで遅れたのは11月下旬から2度にわたって2泊3日で白内障の入院手術をしたことや10月下旬からはこれまた2度、4泊5日と2泊3日で三陸と山陰を旅行したこと、さらに「有朋自遠方来 不亦楽」もあったりして、今年の秋はことのほか忙しかったのだ。
加えて、それらの合間に手を付けようとすると、例年の南関東の海岸沿いの安定した秋の気候とは似ても似つかない雨模様の日々が続き、やりたくてもやれない日々が続いていて時期を失いかけていた。
そしてここ数日は、暖冬の予報を覆す立派な寒さがやって来ていて、庭仕事に適しているとはとても言い難かったのである。
さらにボクをして「しおれさせられ」てしまっていたのは、最初に白内障手術を受けた右目のレンズを近視をなくすレンズ、つまり遠くに焦点を合わせたものにしたため、手元が全く不自由で、まず定植する場所の草取りから始めようと思っていたのだが、残さなければいけない芽生えたばかりの花の芽と雑草の区別がつかなかったことも、理由の一つと言ってよい。
あれにはホントに困ったし、老眼鏡をかけながら庭仕かいと、途方に暮れたのだった。
それが… ♪
昨日のブログで書いておいたように、左目を手元もよく見えるレンズに変えてもらったため、右目で遠くを見て左目で手元を見るという、離れ業に近い奥の手、もしくは裏技を使ったため、庭作業に老眼鏡は必要なくなったという訳なのだ。
表現の仕方によっては、こういうのを「ガチャ目」というのだろうが、そんなことはどうでもいいのであって、ボクの気分としてはパララ~ン ♪ なのである。
昨日は最高気温が10度に満たない北風の冷たい日で、おまけに唯一頼りのお日様さえ、時々雲の中に隠れてしまったりしていたのだ。
それでも地べたにはいつくばって雑草を1本1本丁寧に抜いていったのは、良く見えるようになったからに他ならない。
人間というのはつくづく感情に左右される生き物なんだなぁと思う。
しかも面白いのは、右と左で見え方が違うのを医学の世界では「不同視」というんだそうだが、これを実現しているのが脳で、違った映像情報が脳に送られてきたものを「…?」と思いつつ、補正して一つの像に結び直すような働きをしてくれるらしいのだ。
でも、ボクの脳はその役割にまだ十分慣れていないと見えて、時々雑草が二重三重に見えたりして、思わず瞬きをしたりして再映像を送り返すよう促すのである。
生来の出来の悪いコンピューターだから、こういう場合は少々のことは我慢するのは身内として当たり前だと思わなければいけないのだ。
かくして50球のチューリップを植え付ける場所の草取りは完成し、無事に球根も埋め終わった。
パンジーなどの花苗を植える場所はもう少し広い面積があるので、草取りは終わらなかったが、残すべき苗と雑草の峻別には支障がなかったので次の作業が楽しみになってきた。
どうやら元通りに近い日常生活は取り戻せそうだ。
ボクは地べたにはいつくばって雑草をむしっている時、何も考えないようにしているので、多分、禅宗で言うところの「無心」の境地の端っこくらいには達しているのではないかと思っている。
黙々とやる雑草取りは好きな行為の一つなのである。
紅葉とともに残り花を咲かせるバラ=横浜イングリッシュガーデン
「カレン」
「アトランティック・スター」
「若紫」
さすがに12月初旬の園内は花がめっきり減ってしまった
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heihoroku
ひろ
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