寝室の西側に縦長の細長い窓が等間隔で3つ並んでいる。
その窓にぶら下げたブラインドの隙間から冴え冴えとした月の光が差し込んで掛け布団の上に帯を描いている。
午前4時。
この時期の日の出前は完全な闇に包まれているのだが、月が顔を出しさえすれば、月光の怪しい光にたじろぎを感じつつ、魅入られたように凝視を返すしかない。
俳句の世界では「冬の月」は季語になっていて、角川書店の『俳句歳時記』には次のような解説が添えられている。
「冬の月にはすさまじい感じが伴う。透き通った冬の大気の中で研ぎ澄まされたように輝く月は、肌を刺す寒さとあいまってぞっとするような美しさがある。本当に美しいのは秋より冬の月であろうか。(以下略)」
とまぁ、こんな調子で感情移入が激しいというか、いささか大袈裟すぎないかというくらいの言葉が並ぶ。
それも無理のない話で、唐の詩人李白も月の光に魅入られ、有名な漢詩を残しているくらいだから。
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
「静夜思」という詩で、和訳すると
「ベッドの辺りに差し込む月の光をじっと見つめる
そのさやかな色はまるで霜が降ったようだ
その光を求め顔を上げ山の端の月を見上げる
顔を伏せて故郷を懐かしく思い出す」
ということになる。
寒夜、シィ~ンと静まり返った火の気のない寝室に差し込む月の光を見るたび感じるたびに、この五言絶句が頭に浮かぶ。
昨日も一昨日も太陽が顔を表さない薄ら寒い日だった。
月が顔をのぞかせ、冴え冴えとした光を降り注いでいるということは、今日は3日ぶりの太陽が顔を見せてくれるということだろう。
小春の陽の光にぬくぬくと包まれながら、明日の句会に提出する句の推敲でもしたいものな♪
以下は、横浜イングリッシュガーデンの秋バラ第2弾