目が覚めてからすでに1時間。ただぼんやりと暗い虚空に視線を漂わせているだけで一向に埒が明かないのだ。
思考停止だから考える気にもなれないし、考えたって浮かんで来るわけもないのだ。
仕方なく、自分がいまどういう状況にあるのかを自分から離れて見ているつもりになって描写してみるものの、頬杖をつきながら背中を丸めるようにぼんやり座っているだけのジジイの姿が捉えられるだけである。
10畳くらいの真っ暗な空間に灯ったパソコンの画面が放つぼんやりした光と机上のキーボードを照らしているスタンドのLEDライトの光が限られたわずかな一角をボ~ッと浮かび上がらせているだけなのでジジイの爺の表情も分からない。
外はまだ真っ暗でしかも小雨が降っている。
室温は21度もあるがどうにも肌寒くていけない。首筋の辺りがスース―するし足元は暖房が欲しいくらいで、起きたては裸足だったのだが我慢しきれず慌てて靴下を引っ張り出してはいたほどである。
くしゃみは既に数度繰り返しているし、ごみ箱は既にティッシュペーパーの山になりかけている。
天気予報が寒くなりそうだと大合唱しているから真冬用の暖パンを引っ張り出しておいたのだが、このザマである。
2日前までは30度に迫る季節外れの真夏の天候だったのだ。
その真夏の天候になる直前には寒冷アレルギーに見舞われてティッシュの山を築き、鼻の両脇を赤く染め、そういう代償を払ってようやく冷たい空気に対する免疫を得ることが出来たかと安堵しかけた途端、また数日間真夏に引き戻されたわけで、真夏は大好きだから文句はないが、しかしいくら何でも時期というものもあるだろうに。
真夏に十分暑ければ、中秋にまで真夏を欲するほど欲張りではないのだ。
また一から寒冷アレルギーのおさらいをしてティッシュの山を築き、鼻の周りを真っ赤に染めないといけないのかと思うと憂鬱でならない。
妻は「ガスストーブを出して朝だけでも使ったら? 寒いんでしょ? やせ我慢することないわよ」というが、気温の低さが思考停止の原因の一つなら、それも一考に値するが、現状の思考停止とは無関係な気がする。
思考停止の理由ははっきりしているのだ。
ボクは少なくとも数年前までは至極平均的なものの考え方を持った日本人だと思ってきた。
現に、暮らしている社会が理想的とは言わないが、何となく理想に向かってベクトルを向けているなぁというおぼろげであっても、そういう受け止めが必ずしもトンチンカンではないような社会状況の中にいたはずなのだ。
それが……
ボクは信じられない気持ちで身動きが取れないくらいなのだ。
「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」
この3大原則が誕生した後すぐに生まれ、この3つの原則に基づいた社会で育ち暮らしてきて、もはや空気のような存在なのだが、そのありがたさというものは身にしみて感じてきたのだ。
だから仕事だって、この3つの原則が脅かされることがないように「見張る」ことのできる仕事を選んで42年間、それなりに奮闘してきたつもりなのだ。
ボクらは曲がりなりにも3大原則の恩恵を謳歌できたのだ。孫たちにもボクたちが吸ってきたのと同じ空気を吸わせ続けさせてあげたい。その1点なのだ。
それが恩恵を享受してこられたジジイ・ババアの役割であり、義務だと思っているのだ。
でももはや、そういう考え方は少数派になってしまったようである。そうだとすれば残念でならない。
………… 思考停止であっても行き着くところに行き着くものであるらしい。
先日行った横浜イングリッシュガーデンからランダムに…
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