案の定、平年より3日早いそうだ。
やっぱり! と思ったら、去年よりは2日遅いらしい。
人間の記憶なんてものはいい加減である。
気になるのは今年の夏の天候。
大暑の生まれの身には、夏は暑くなければならず、冬の寒さは苦手でも夏の暑さはへっちゃらなのだ。暑さどんと来い! なのだ。
で、気象庁のホームページを見てみたら、関東地方の気温は平年並みか高目だそうだ。
でも6、7月は晴れの日が少なく雨の量が増える可能性がある、と気に食わない予報である。
ただ、8月はそんな事もなく、晴れて暑い日が続くようであるが…
でも、今年はまだ台風が1個も誕生していないという。
こういう年は7、8月の真夏にその遅れを取り戻すように、沢山の台風が生まれるんだとか。
冗談じゃない。年間発生量というのが決まっているわけじゃぁあるまいし、これまで発生しなかった分はチャラにしてくれていいのだ。
次から次に台風がやってきたとしたらどうなるんだ?
大震災並みの被害が出てしまうんじゃないの? くわばらくわばら。そんな事は願い下げにしてもらいたい。
7月の参院選も自民と公明の与党が勝ってしまうんだろうなぁ。
何か、そんな絶望的な気がする。
何とか3分の2を超えないでもらいたいと願うしかないのが、せめてもの希望で、情けない。
天気予報というのは、えてして外れることがあるが、選挙のそんな悲観的な予測も外れてくれることを願うばかりだ。
憂鬱な夏はご免である。
ところで、こちらの受け皿の問題も大きいのだろうが、今年の夏季講座はちょっぴり期待外れだったと思いつつ、本屋をのぞいていたら「人はみな仏である」(春秋社)という本が飛び込んできた。
前の前の円覚寺管長の朝比奈宗源老師が今から55年前の昭和36年の夏季講座で「白隠禅師坐禅和讃」を講義した時の記録である。
朝比奈ファンだった奇特な人が一字一句を書きとっていて、それが円覚寺に伝わっていたものを平成23年の朝比奈老師の33回忌に合わせて出版されたものだそうである。
55年もの歳月を飛び越えて、わが身に届いたのだ。何という縁であることか。不思議なめぐり合いとしか言いようがない。
白隠禅師坐禅和讃は毎週日曜日の坐禅会の冒頭に必ず唱える短いお経である。
元来、お経に好き嫌いなどあるはずもないが、なぜかこのお経はすぐに覚えてしまったほどの「好きなお経」なのである。
お経と言えば、お釈迦さまが生まれたインドの言葉が仏教の伝わった中国の言葉に替えられた、何が書いてあるのかさっぱり分からないものばかりだが、この「和讃」は和語が使われているのが大きな特徴である。
つまり、日本における禅宗の再興の祖といわれる白隠禅師が書いた「和文でつくった坐禅の徳を賛美した歌」なのである。
唱えて見れば一目瞭然なのだが、リズムはいいし、なにより書かれている内容が魅力的なんである。
その和讃を「仏心」の探求に力を入れた朝比奈宗源老師が説いているんである。
「ずでに古典になっているこの『坐禅和讃』の意味を、ただ講釈するのではなく、これを通じて、私の仏教の信仰を明らかにしたい、禅がどういうものかということを明らかにしたいと思います」と老師は語っている。
絶好の書物が手に入ったというべきだろう。
抹香くさくなった?
違うね。禅というのは何かを信じて、それにすがって安心を得るものではなく、自らの心に問いかけ、心と向き合う中で何物かを見つけ出そうという宗教なんだよね。
自分の力で自分自身をじっと見つめるってことらしいんですよ。それが、なかなか難しいんだけれど…。だから読む。
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