平方録

熱帯夜という言葉の響きの懐かしさ

熱帯夜という言葉が何かとても居心地の良い状態を指す単語であるかのように、既に入手困難となった懐かしくもかけがえのないもののように感じられる。

ボクの暮らす海辺の町はめったに熱帯夜にはならないのだが、台風が近づいて来たり、何か別の気象状況が重なると熱帯夜に見舞われることがある。しかし、それも年に数回のことで、そのことで苦労させられるということはない。
窓さえ開けていられる気象状況だと、外から入ってくる風がそよかぜ程度の弱いものであっても寝苦しいと言うこともなく、安眠が保証されるのである。

加えてボクはベッドにひと工夫を凝らしていて、極細に割いた竹を編んだゴザを敷いて、その上に寝ているのだ。
これが優れもので、竹というのはそもそも熱伝導が悪いらしく、常にひんやりしているのである。
周りの空気の温度が高いから相対的に冷たく感じられるということだと思うのだが、実際にゴザの上に寝転がってみると、体が接している部分はぬくもりを感じるが、それ以外の部分には熱が伝わっていないからゴザの大部分はひんやりしたままで、寝返りを打つたびに涼しい感覚を得られる。

お陰で暑い夏でも寝苦しいと感じたことは一度もなく、快適な睡眠が保障されているのだ。
ところが昨今の雨模様の天候は気温の低下を運んできているので、愛用のゴザの上に身をゆだねるとひんやりし過ぎて寒いくらいなんである。
何を馬鹿なと思うかもしれないがこれは真実で、部屋の温度が25度程度に下がっている場合などはひんやりを通り越して冷たい。
仕方なく厚手の毛布を引っ張り出してきて掛けてしのいでいるのだが、情けない気分である。

ゴザを外せば済むことだが面倒なのでそのままにしているのだ。
第一、このまま夏に去られてたまるかという思いも心の片隅にあるのも事実で、抵抗しているのである。
でも1週間ほど前に寝冷えしたのか、のどを痛め、それがいまだに回復せずにしょっちゅうせき込むのは、依然として夏には不釣り合いな冷涼な気候が支配し続けているからに他ならない。

わが街では雨量ゼロの日もあったように思うが東京では8月に入って16日間雨模様が続いていて、何と40年ぶりの天候不順だという。
お陰でもうスーパーなどの店先に並ぶ野菜は高騰し始めたし、こういう状態がもうしばらく続くようであれば野菜はもちろんコメや果物の出来具合にも深刻な悪影響を及ぼすことだろう。
実りの秋を迎えられるか、心配になってくる。

それにしても危なっかしいことだ。
ここにきていったんは小康を得たようだが、朝鮮半島の坊やも45代目の米大統領も双方共にともにとびっきり頭が悪いことが改めて証明された。
こういう輩は存在自体が迷惑だし、地球全体の安寧のために豆腐の角に頭をぶつけて死んでもらうしかないんだろうと思うのだ。
かの国には豆腐がない? んじゃぁ、アベなんちゃらからプレゼントしたらどうだろう。
ついでにどうやればいいのか、2人に見本を示してやったらどうかね。



わが家の庭のキンミズヒキ、ホトトギス、ブルーサルビア


雨に打たれるアサガオあわれ
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