時計を見ると枕もとの携帯ラジオのデジタル表示は4が3つ並んでいる。
えっ…4:44 ⁈
しかも、いつもはまだ闇が残っているのに、闇のかけらもないほど夜は明けてしまっていた。
今朝は久しぶりに寝坊してしまった。
ボクの左耳は全く聞こえないので、右耳をふさぐような格好で寝ると外部の音が遮断されてしまうのだ。
目覚ましをかけている時など、どんなに目覚ましががなり立てたって白河夜船で気がつかない。
当然便利な面もあるのだが、寝相というものに注意を払わなければいけないという点において、他の人と違う側面を持っているのだ。
瀬戸内を1週間旅して戻ってきた後、翌朝から2日間は円覚寺の夏期講座、そして月曜、火曜、水曜とこれまた朝早くから出かける用事があって、朝ごはんもゆっくり食べられない日々が続いた。
それが家に戻って6日目にしてようやくゆったり朝ごはんが食べられる朝を迎えたのに…
思えばほぼ2週間もの間、非日常が続いた後だから、知らず知らずのうちに気のゆるみのようなものが忍び寄って来ていたのかもしれない。
そういう意味ではヒトという動物の心根というのは正直なものだ。
ん? 単なる個人的なゆるみか。
不在に加えてバタバタ過ごした日々の積み重ねから我に返ってみると、アーチのつるバラ「伽羅奢」はすっかり盛りを過ぎてしまっていたし、パンジーも一部を除いて終わってしまっていた。
多くのバラは今年は少し開花が遅れたおかげで、峠をやや過ぎた辺りでとどまってくれているのがせめてもの救いだが、例年の輝きには程遠い。
晩秋から年明けにかけてのせん定作業の失敗だと思うのだが、「サハラ98」に至っては、申し訳程度に3~4輪咲いただけで、音沙汰がない。
明確な記憶がないのだが、ひょっとするとこの株だけ肥料をやり忘れたのかもしれない。来年はアイスクリームの棒をタグ代わりに刺したり、何らかの目印を残しながら作業した方がよさそうだなどと反省している。
作業は1日で終わるという訳ではなくて、数日間にわたるので、忘れないような工夫が必要かもしれない。
加えて記憶装置の経年劣化も想定しておく必要があるからな。
咲き終わった「伽羅奢」の花ガラを摘んだら、今年は花付きがとても良くて、大型のゴミ袋の半分がいっぱいになった。
うまくいった株もあるのだから、こちらの成功体験から何が学べるか、しっかり記憶しておかないといけない。
ジューンベリーの木に小さいけれど赤くて甘い赤い実がたくさん生っている。
高い所の枝は鳥たちがついばんでいるからヒトは手の届く範囲で収穫をする。
カキの木の例え話を思い出した。
曰く「高枝の実は鳥たちのために。手の届くところの実は旅人のために。そのどちらでもないところの実は自分たちでいただく」。
こういう分かち合いの精神というものが、かつての日本人にはあった。
ジューンベリーの実を一度焼酎に付けたことがある。でも、小さい上に水っぽいのでうまくできなかった。果実酒には向いていないようで、生食かジャムにするしかない。
でも、どっちにしたってタネが邪魔である。
昨日は午後に帰宅して2階のベランダのパンジーを植えたプランターから咲き終わった苗を引っこ抜き、土壌調整をして肥料を施したりして次の利用に備えた。
いけねぇ~、プランターに蒔く予定のほうれん草のタネを水に浸しておくのを忘れた!
友人からそうした方が早く芽が出るとアドバイスを受けていたのだ。
これを書き終わったら忘れずにやろう。
「暑さに強くたくさんとれる」と包装紙に目立つように書かれたサカタのタネの「丈夫なほうれん草」ってのを買ってきているのだ ♪
ほうれん草は葉が出て少し伸びた段階でつまんでサラダにして食べると、あの独特のシュウ酸臭がないのでとても甘く感じられ、エッ これがほうれん草 !? とびっくりするくらいにおいしく食べられる。
ボクはもともとシュウ酸臭さが苦手でほうれん草嫌いだったが、これはおいしい。
ポパイだってオリーブだって、こっちの方が好きに決まっている。
これも友人に教わったのだ。
そうそう、1本90円という安さのミニトマトの苗を2つ農協の直売所で買ってきて育てているのだが、かいたわき目を土に刺しておいたら根が生えてグングン成長し始めた。
何と8本も ♪
ガマの油売りじゃないけれど2本が4本…4本が8本…
この調子だと秋が来るまでに何本に増えるんだ。無限大 ? メビウスの輪…
庭のフウロソウ
八重のドクダミとホタルブクロ
(見出しの写真はジューンベリーの実と「ローゼンドルフ・シュパリースホープ」)