平方録

夏去りて やがて悲しき…

9月最初の日曜日。8月中は休みだった円覚寺の奇数日曜日の坐禅会も復活し、日常を取り戻しつつあることを実感する。

偶数日曜日の説教坐禅会の日だと、それも第2日曜日の横田南嶺管長が法話を行う日は会場の大方丈に収まり切れないほどの人が詰めかけるのだが、奇数日曜日は横田管長が古の名僧たちが残した禅の教えを説く書物を読んで解説してくれるのを坐禅を組んだまま聞くだけなので、参加者は5分の1以下の100人を下回る程度に減る。
このうち毎回15%から20%が初心者で初めて坐禅をする人たちである。
開始前の10分くらいの間に足の組み方や呼吸の仕方のイロハだけ教えてもらってすぐに1時間余り座り続けるのだから、なかなか大変である。

大方丈の中央、本尊に向き合う位置に横田管長が座る台座が置かれ、われわれ参加者はご本尊と管長の横顔を見るような形で左右の空間に坐るのである。従って参加者同士は正面を向き合う形になる。
そういう中で昨日は珍しい光景を目撃した。
こちらに向き合っている最前列の席で初心者の一人があろうことか立膝をしているのである。最前列だから見ようとしなくても目に入るのだ。
足が痛くなってくるのだろう、5分とか10分経ってくるともぞもぞし始める初心者は珍しくない。
坐禅の姿勢が乱れる姿も時々目にする。慣れていないのだから致し方ないのだが、しかし立膝は初めてである。

立膝野郎のちょうど正面にフランス人と思しき妙齢の女性2人が座っている。
フランス人という確信があるわけではないが、こういう場合はフランスの若い女性と言う方がしっくりくるではないか。東洋思想・文化に対する理解力が他の国の人間より高そうじゃないの。
2人ともとてもスマートな体形で、何より髪の毛を腰のあたりまで伸ばしているから座っているとお尻が隠れるほどである。フランス人形もかくやと思わせる佇まいなのだ。
ここのところよく見かける2人で、大方丈の外の境内ですれ違ったときにチラッと見た顔やその表情から判断すると、高校生かなと思えるほどあどけない。

この2人は坐り方も堂に入っていて、ピタッと同じ姿勢を保ったまま身じろぎひとつしない。大したものなのだ。
その目の前でニッポンジンが立膝をしているんである。薄暗いのであまりはっきりは分からなかったが年寄りではない。30代くらいに見えた。
何もフランス人の前だからって目くじらを立てているわけではない。
でも自分の意志で参加したんだろう? どうか坐禅にやってきて立膝するのだけは止めておくれ。
やりたけりゃ自分のうちでやりなよ。
同じ姿勢を保たなくてはいけないのも、たかが1時間だよ。やせ我慢というものも必要だよ。

お坊さんは偉いね。何も言わず黙っていたからね。

ベランダで栽培していたゴーヤとミニトマトの株を撤去した。
ゴーヤにはまだ実が生っているが、大きくはならないだろうし、葉っぱも濃い緑色をしていた夏の盛りと違ってすっかり緑が色あせて、情けないくらいに弱弱しい薄緑色になってしまっている。
ミニトマトにも実がついているけれど、赤く熟してもまずくてとても食べられたものではない。
太陽の恵みを満足に得られなかったのだから当然と言えば当然なのだが、悲しい。

次第に広がっていくベランダのスペースを眺めながら、何かが足りないことに気づいた。
パンジーの苗がないのだ。
例年、欠かさず8月の半ばに種を蒔いてきたので、今頃は小さな芽が出てきているころなのだ。
すっかり忘れていた!

こういうのをボケって言うんだろうか。多分そうだ、きっとそうだ。
やがて悲しき…何とやらですかい。あ~あぁ~。







円覚寺龍隠庵にて。下の2枚は珍しいヒメザクロの実と花から実になりかけている様子
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