平方録

今年は秋バラに会えないかもしれない

秋バラの季節を前にボクはいささか憂鬱である。

というのはわが家のつるバラは健在で何の心配もいらないのだが、株立ちのバラの多くの葉が落ちてしまって哀れな姿をとどめているからである。
おそらく枯れてしまうことはないだろうと思っているが、光合成ができないのだから10月以降に咲くであろう花の芽を作るどころではない。
葉を落としてしまった株をよく見ると新しい葉が出てこようとしているが、よしんばこの葉っぱが成長して開いたとしても株自体がエネルギーを使い切ってしまっているか、わずかのエネルギーしか残っていない状態なら、いくら光合成を再開したところで花芽を作るのは大変な作業ではないかと危惧するのだ。

その場合は秋の花をあきらめなくてはいけない。
バラならどの種類でも秋に花をつけるという訳ではなく四季咲きのものとか初夏と秋の二度にわたって咲く種類を選ぶ必要があるのだが、わが家の株立ちのバラはすべて四季咲き種だから秋も花を楽しめるのである。
秋バラは初夏の花と違って、蕾の状態が長く続き、したがってじわりじわりとゆっくりゆっくり成長していくものなのである。
そういうことも関係しているのだろうが、咲かせる花の数は初夏の旺盛さには比べるべくもないし、開いた花の大きさも初夏のものに比べると小振りになってはいるが、ゆりかご期間が長いせいか、香りが随分と立って違いを際立たせるのである。
だから香りを楽しみたいという愛好家は初夏の花よりも秋の花を好み、かつ珍重するのだ。

ボクは株一杯に辺りを圧倒するかのように旺盛で豪華に咲き誇る初夏の花も好きだし、冬を目前にして最後のひと花を薫り高く咲かせる秋バラも好きである。
11月の晩秋の頃、弱弱しい午後の光に浮かび上がる花を見ていると何かとても切なくなってくるのだが、別れを目前にして悲しむのではなく、次の年の再会を約束して別れるようなもので、それはそれでおやすみなさいの挨拶のようなものと思えば何でもない日常の風景に代わるのである。

これがバラに対するボクの心象風景のようなものだが、なぜ花の季節を前にして葉が落ちてしまうという重大事に至ってしまったのか。
おそらく真夏の8月の天候不順にやられたとしか思えない。
長雨に加えて雨が落ちてこなくてもどんよりとした曇り空が続き、日照不足にも見舞われたことが大きいように思う。
うどんこ病や一部では黒星病も出てしまった。
病気にかかると植物は病んだ部分を自ら切り捨てて再生を試みるのである。

しかし、その再生期間というものもまた、天候不順による日照不足にたたられてしまい、十分な体力回復がかなわなかったとみるべきである。
こういう状態をニンゲン社会では「踏んだり蹴ったり」という。
愛しいバラたちは何の罪もないにもかかわらず踏みにじられ蹴飛ばされるというひどい目に遭わされたのだ。
雨が降り続くものだから薬を撒きたくても雨に流されてしまうのでそれも出来ないまま、黙って見過ごすしかなかったんである。

毎年真夏に行っているパンジーの種まきを今年はすっかり忘れてしまったのも「天候不順につきその時期にあらず」という警告がボクの意識とはかかわりのない奥底の自然の叫びとして表れ、ボクを律していたんじゃないかと思っているのだ。
そうだとすれば、その時点ではボクもすっかり自然の一部になり切っていたことになる。
それはそれで嬉しいし、新たな発見でもあるのだが、如何せん秋バラは咲いてくれるのだろうか。
そこが気がかりである。









わが家の庭のホトトギスとキンミズヒキが散り終わった後の花がらの列
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事